上田城の前の真田家の拠点!真田氏本城跡を散策しました。

さ、本日も真田めぐりの続きと行きましょう。
前回のお屋敷公園よりさらに上ります。

すると、見えてくるのがこちら。

DSC_0415

「真田氏本城跡」です。
そうです。読んで字のごとく、真田のお城跡ということです。

真田氏本城跡とは!?

築城は戦国時代の天文年間(1532年 – 1555年)に、武田家臣の真田幸綱と伝わる。一方で、城の発掘調査によると縄張りは鎌倉時代の古い様式が見られ、真田氏以前にも山城が存在していたと考えられている。
天文10年(1541年)に甲斐国の武田信虎、信濃国諏訪郡の諏訪頼重、村上義清連合軍が信濃佐久・小県郡侵攻を行う(海野平の戦い)。これにより、滋野氏嫡流の海野棟綱と共に、真田幸綱は本領を奪われ上野国へ亡命した。この当時の真田本城については史料が残されておらず、不明な点が多い。村上氏は真田本城の支城の一つである戸石城を小県郡支配の拠点として使っていた。
天文20年(1551年)に、武田晴信(信玄)の命を受けた幸綱は戸石城を奪取して、小県の本領を回復した。以来、幸綱・信綱・昌幸の三代に渡って、真田本城およびその支城群が整備された。上田城に移るまで真田氏の本城であったと考えられている。

引用元:Wikipedia「真田本城」

 

真田と言えば「上田城」ですが、その前のお城ということになります。
ちなみに別名は「松尾城」だそうです。

あと、最初に触れておかねばならぬことがあります。それは、これ、本当に真田氏の城だったかというと不明だそうです。ここまで来ておいて、堂々と「真田氏本城跡」なんて看板まで立てて、観光マップにも載せておいてです。

しかし、真田氏の城でしたということで話を進めないと意味がないので、ここは「真田氏の城でした」ということでいきます。

いざ、真田氏本城跡へ

DSC_0417

車を駐車場へ置いて進みます。
十分、車で上ってきましたがまだ登ります。

DSC_0420 DSC_0421 DSC_0422

ここが真田氏本城跡地かぁ~。

DSC_0423

石垣等は見当たらず。

DSC_0424

土塁や曲輪跡がある程度ですかねぇ。
個人的にはやはり再建でもいいから城跡には城を建ててほしいなぁ~なんて。

DSC_0425 DSC_0426 DSC_0428

なかなかの傾斜。甲冑を付けて上って攻めてくることも大変なことです。
「防御」を考えれば城は山城ってことになるんですかね。

DSC_0429

まつぼっくりに囲まれている石像を発見!

DSC_0436

こちらの坐像様の足元に妙なものを発見…。

DSC_0437

一円玉に囲まれた五円玉6枚…。
これって…真田家の家紋「六文銭」を意識しているのでしょうか。

あ!コレ、おれのイタズラじゃないですよ!俺が来た時からこうなってましたから!
硬化の上のほこりとか今しがた用意した感じではないでしょう?

これは数年前のものになりますので現在もこうなっているかは不明です。
最近真田氏本城跡に行かれた方はこれをご覧になっていたら教えていただきたいですね。

 

真田氏本城跡

所在地:長野県上田市真田町長5140-1
駐車場:あり

合わせてチェック!
 
 

\この記事が面白かったらシェア/

 
 
 次回予告
  1. 【京都に元伊勢神宮!?今も残る元伊勢外宮・豊受大神社へ参る】

  2. …のような記事を予定しております。現在、順調に執筆中!お見逃しなく!!

 
   
 

Masayan
当ブログを運営しておりますMasayanは、旅行サイト「たびねす」へも記事を寄稿しております。 お時間がある方・興味がある方は是非、こちらの記事も合わせてご覧ください。

コメントを残す

スパムコメント対策中 - H Speed WP
 

ABOUTこのブログをかいてる人

普段は看護師をしております。好きなものは日本史。特に古代史・平安・戦国・幕末が大好物です。都市伝説・フリーメイソンの話も大好きです。 休日は寺社、城、史跡巡りを主にしております。