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知恵の神・天八意思兼命を祭る戸隠神社中社

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こんばんは。masayanです。
今年の大河ドラマ「真田丸」効果もあってか大阪の真田幸村シリーズが好評でした。書き手としては嬉しかったです。
あれ、そういえばずいぶん前に「信州の方に行った時の写真」は残ってないかな~っと写真フォルダの中から見つけ出すことができました。

当時はまだカメラ覚えたてだったのでこうして写真を見返すと、己の写真の若さを感じますね。今のスタイルとは違うのですがせっかくですし、約5年前くらいの話にはなりますが当時を思い出しながらまとめたいと思います。

まず一発目はこちら。パワースポットとしても有名な「戸隠神社」です。
今回は奥社ではなく、先に「中社」から攻めます。

戸隠神社・中社とは!?

中社(ちゅうしゃ):現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されている。火之御子社の上1.5kmほど。旧中院。

引用元:Wikipedia「戸隠神社」

御祭神の天八意思兼命は記紀においても有名ですね。

いざ、戸隠神社・中社へ

当時の私はというとメジャーなところ以外は目もくれず、細かいところを楽しむ器は持ち合わせてなかったですねぇ。
それもこの時は少し時間があったので奥社の前に中社にも寄った感じですね。
この後、今のような参拝スタイルになるわけですが。若さゆえですかね。
あぁ、もう少し写真を撮っていれば素材不足にもならなかったのにとやや後悔です。

大きい鳥居の前の駐車場へ車を置いてレッツゴー!

 

こちらがご神木。樹齢700年の立派なご神木。でかいです。

見上げるタイプの狛犬様です。

そしてこちらが拝殿。

ご由緒
御鎮座年代古く人皇第七十三代堀河 天皇の寛治元年(一〇八七)に奥社より分祀し 奉斎す 神話に名高い天照大神が御弟 神須佐之男命の度重なる非行に天岩戸 にお隠れになった時岩戸神楽(現在の太々 神楽)を創案し萬民をして生業に安んぜし めたという知恵の深い神で学業成熟 家内安 全 営業隆昌 開運守護の外諸々の災難を 祓う神として国民の弥栄の上に高大なる御神 徳を恵み給う大神様です。

引用元:-境内案内-

当時は工事中ということもあってがやや騒がしい印象でした。
山の中にある戸隠神社。高い木々に囲まれたこの世界観はとても美しいです。

↑戸隠神社の車があったのですが、車のサイドには神紋付きでした。

ちなみにこの「卍のように見える神紋」にはこのような意味があります。

皆様は戸隠神社の社紋をご存知でしょうか?
当社々紋は鎌卍(かままんじ)と言い、四本の鎌を卍型に配置し、かたどった物です。
元々戸隠大神は、古くから水の神・豊作の神としての神格を知られ、米を主食とする我々日本民族にとっては、とても身近な、親しみ深い神として信仰を集めて参りました。現在でも、戸隠講の方々などは参拝の際に必ず米を持参して御神前に奉納をしております事も、その精神が引き継がれている事の現れと言えるでしょう。そんな、戸隠の神々と我々との間をつなぐ関係の中から、荒れ草を刈り払い、豊かな土壌を作り出す為に、初めに農作業で使う道具としての鎌を、戸隠神社のご利益の象徴として形に表したのが、当社の社紋、鎌卍に成ったと言われております。

引用元:戸隠神社について | 戸隠神社

農業と絡む「鎌」からの「鎌卍」。なかなか意味が深いですね。

では、中社を後にして次へ。

 

戸隠神社・中社

所在地: 長野県長野市戸隠3506
電話:026-254-2001
駐車場:あり
HP:http://www.togakushi-jinja.jp/index.html

 

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長野
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この記事を書いた人
masayan

普段は看護師をしております。好きなものは日本史。特に古代史・平安・戦国・幕末が大好物です。都市伝説・フリーメイソンの話も大好きです。休日は寺社、城、史跡巡りを主にしております。

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