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熊野本宮大社旧社地「大斎原」の日本一巨大な大鳥居は天下一だった

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熊野詣はまだまだ続きます!

前回の「熊野本宮大社」の参拝後はこちらへ。

大斎原看板

熊野古道(祈りの道) 終着の地・出発の地 大斎原(おおゆのはら)です!

案内板の矢印に従い進みます。

大斎原(おおゆのはら)とは!?

熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。

江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。

音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。

ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。

かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。

引用元:熊野本宮大社旧社地「大斎原」|熊野本宮観光協会

残念ながらの大水害で熊野本宮大社が現在の位置に遷座されたということ。

つまり元の位置はこちらだったということです。

待ち構える日本一の大鳥居!

大斎原大鳥居

この巨大な鳥居が待ち構えています!看板には「日本一」と掲げられていましたが納得の大きさです。

大鳥居看板

人心が神と自然から離れつつある今日,当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の時代へ日本の心(精神・魂)の復活を祈念するとことであります。
神代の時代,素盞鳴尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ,自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって,大なる節目であることは無論の事,この節目の始めに当たり「日本人の精神(心)の蘇り,日本経済の再生,熊野の山々より環境の大切さの再認識,国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し,今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく,大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう,熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に,日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は,平成十二年五月十一日です。
(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル
日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や,素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野),大国主尊を祭る大社(出雲)を始め,たくさんの神社がありますが,神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること,つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。

引用元:境内掲示板

↑日本一の鳥居だと思っていたら天下一大鳥居のようでした。

大斎原大鳥居

周りが田んぼということもあり、その存在が遠くからも確認できました。

それにしたって、なんて絵になる美しさ!

この大鳥居高さ約34m、幅約42mだそうです。ほんとに巨大です!!

まさに天下一大鳥居の言葉の方がしっくりくるくらいです。

いざ、世界遺産「大斎原」へ

大斎原

もちろん、こちらも世界遺産です!

大斎原手水舎

手水舎。「魂」と書かれた球体に注連縄。

…この上なく気合を感じることができますね。

大斎原参道

大斎原参道

こちらが参道。とても木々が美しいです。

以前は熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)でした

案内板

こちら、明治期までは「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」でした

水害時の様子が絵図として描かれています。

熊野坐神社

今では社がありませんが、その広大な土地は健在。

かつての社地は、現在の熊野本宮大社の8倍だったそうです。

境内には凛々しい狛犬さま。

そして、大斎原に祀られる二つの祠があります。

中四社
第五殿(禅児宮):忍穂耳命
第六殿(聖宮):瓊々杵尊
第七殿(児宮):彦火火出見尊
第八殿(子守宮):鵜葺草葺不合命

下四社
第九殿(一万十万):軻遇突智命
第十殿(米持金剛):埴山姫命
第十一殿(飛行夜叉):弥都波能売命
第十二殿(勧請十五所):稚産霊命

となっています。

濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂

奥には川が見えました。

大斎原の川

こちら、かつて神倉の地に降臨した熊野三神のうち熊野家津御子大神(けつみこおおかみ)が川を遡りこの地に坐したのが始めとされています。

熊野本宮大社の旧社地である大斎原は熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する川の中州にあるのです。

ちなみに、江戸時代まで音無川には橋が架けられいませんでした。そのため参詣者は音無川を草鞋を濡らして渡りました。

熊野では「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」と言って水で濡れたわらじと泥で汚れた着衣での参拝が許されていました。

参詣者は音無川の流れに足を踏み入れ、冷たい水に身と心を清めてからでなければ、入ることができない神域として信仰されていました。

冬場は厳しそうですね。そこまでしてでも参拝する価値があったということです。

その参拝する人々の多さを「蟻の熊野詣」と表現したわけです。

その神聖さをわずかながらでも体感できたことは嬉しい限りです。

熊野本宮大社に参拝にいらした際はここまで足を運んでみてはいかがでしょう。歴史の深さを知ることでより深く楽しめますよ!

 

大斎原

所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮
電話:0735-42-0009(熊野本宮大社)
HP:http://www.hongutaisha.jp/

 

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