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ここが伝説の熊襲の穴!ヤマトタケルが事を起こした事件現場だ

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続いて向かったのが、鹿児島県は霧島方面。

道中、気になるものがあったので寄り道。

熊襲の穴への道

熊襲の穴(くまそのあな)】です。

わかりますか?熊襲。

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知ってる人は古代史ファン決定だと思います(笑)

ちなみに母に聞いたら「熊を襲う狩人じゃない?」という読んで字のごとくの返答をいただきました。

母曰く、「実際九州にも熊が住んでいたというし、霧島付近なら昔は生息しているのでは?」という地元民ならではの情報量と経験測からの返答でした。

そう言われると全否定ができないのがまたくやしい。

確かにこの大自然なら昔は熊もおったのかもしれませんなぁ。なんて。

熊襲(くまそ)とは!?

 古代の南九州にはクマソと呼ばれる人々が住んでいました。クマソは熊のように猛々しく、勇ましい人々であったといわれ、古事記では「熊曽」、日本書紀では「熊襲」と書かれています。熊襲の穴はクマソ族の首領・川上タケルが住んでいたところで、女装した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に殺されたと伝えられています。

引用元:熊襲の穴|観光スポット|鹿児島県観光サイト/本物。の旅かごしま

とのことです。

実は古代史ファンである私としてはヤマトタケルの話が大好きなので熊襲と聞いて興奮してしまいました。

もともと古代史を勉強するきっかけも「ヤマトタケルって名前は聞いたことがあったけど、なんのこっちゃわからんなぁ。」というところから古事記を読むようになったんです。

まさかこんなところで、伝説の地に訪れることができるなんて。胸の高鳴りが止りませんね。

いざ、熊襲の穴へ

駐車場に車を置いてレッツゴー!

熊襲の穴への道

なんと美しい山々。

訪れたときは8月でした。もう汗がだくだく。

熊襲の穴への道

 

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はぁ~~~、まだまだか。

「熊襲の穴(くまその)あな」別名「 一名嬢着(じょうちゃく)の穴」

ようやくそれらしいものが見えました。

熊襲隼人

 

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きた!きたーーー!!

熊襲の穴
ようやく念願の『熊襲の穴』に到着。

熊襲の穴案内板

熊襲の穴は、この地点からおよそ五メートルのところにあり、昔熊襲族がが居住していた穴で、熊襲の首領 川上梟帥(たける)が女装した 日本武尊(やまとたけるのみこと)に誅殺されたところで、 一名嬢着(じょうちゃく)の穴ともいわれます。

第一洞穴は奥行22メートル、巾10メートルで、百畳敷位の広さがあり、 更に右正面から第二洞穴につながっておりますが、 現在入口が崩れて中へ入れません。 第二洞穴は、約三百畳敷位の広さといわれております。

掲示板より

とのことです。

熊襲の穴注意書き"

スイッチを押さないと洞窟内は暗闇なのでしょう。
スイッチを入れて突入です!

いざ、熊襲の穴へ突入!

熊襲の穴

さっすが洞窟。薄暗い。

熊襲の穴

こ、これは…。

アーティスティックかつファンタスティック!!

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…って、伝説の地のかけらもねぇじゃねーか!!

 

入り口は狭いものの中は、広く、奥行き22メートル、幅10メートル、高さ6メートルの広さだそうです。

芸術家萩原貞行氏のモダンアートが描かれています。

熊襲の穴
 

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ここで日本武尊(ヤマトタケル)が川上タケルを…。

熊襲の穴
って、感傷に浸れねー。なんか壁がにぎやかすぎる!

ちなみに洞窟ってことでめっちゃひんやりしてました。

夏の暑さ、山道登りで出た汗もかき消されるくらいでした。

おわりに

メガネの落とし物

そろそろ引き上げようと思ったその瞬間。

足元に光った謎のメガネ。

masayan
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…え?これ、メガネをして来た人がメガネ落としたって事?
かけてたメガネがなくなってたら帰る時に気が付くんじゃ…。
まさか、ここで最近表立ってない事件が起きてたりして…。

なんてね。深く考えず、立ち去ることにしました。

ここが神話に描かれ、平成の世まで残る「熊襲の穴」です。

古代史ファン、神話ファン、ヤマトタケルファンは是非お立ち寄りください。

 

 

熊襲の穴

所在地:鹿児島県霧島市隼人町嘉例川4381-1
駐車場:あり

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