聖徳太子のお墓を訪ねて叡福寺へ!御廟は空海の結界が囲む聖域だった

 

古代史の英雄・聖徳太子。

彼の名前を知らない日本人はいないことでしょう。

彼の偉業は歴史の教科書にも太文字で記載されるレベルで、かつては旧札にも描かれるほどの人物です。

最近では「聖徳太子の予言」も話題となりました。ご存知なければぜひこちらの記事も合わせてご覧ください。

今回はご紹介するスポットは大阪にあります。

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【叡福寺(えいふくじ)】へ向かいました。

こちらにはなんと、あの、「聖徳太子のお墓が」あるのです。

参りましょう。

 
 

叡福寺(えいふくじ)とは!?

寺伝によれば、聖徳太子は生前、推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定めたという。推古天皇29年(621年)、穴穂部間人皇女が没するとここに葬られる。翌年の推古天皇30年(622年)には、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたといわれる。太子の没後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。

引用元:Wikipedia「叡福寺」

 

叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として、歴代の天皇や権力者に重んぜられた。平安時代には嵯峨天皇をはじめ多くの天皇が参拝しており、平清盛は子息の平重盛に命じて堂塔の修理をさせている。また聖徳太子は、仏教の興隆に尽力したため、日本仏教の開祖として賛仰された。空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍など新仏教の開祖となった僧たちが、墓所があるこの寺に参籠したことが知られている。
当寺は、天正2年(1574年)の織田信長による兵火で大きな被害を受け、古代の建物は残っていない。その後、慶長年間(1596年 – 1615年)、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を再興した。

引用元:Wikipedia「叡福寺」

聖徳太子は27歳の時この叡福寺の地を御廟の候補地とし、周囲を寺院地とされ、47歳の時、廟をお造りになられました。

そんな場所に来ることができて光栄の極みです。

いざ、叡福寺へ

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とても広いお寺です。なにより、とても綺麗です。

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↑南大門

色褪せてきた朱色がまた渋いです。もちろんの仁王像も決まっています。

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↑手水舎

龍がカッコいいです。手水舎で手ごたえのある写真は久々かも。

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↑金堂

こちらの本尊は高さ90cmの如意輪観音の坐像です。

聖徳太子の本地が観世音菩薩であるという平安朝以来の信仰に基づいているそうです。

ちなみに、この金堂の裏に近接して「聖霊殿(太子堂)」があります。

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↑多宝塔

こちらのご本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像です。

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正面に見えるのが「二天門」

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もはや看板はなんて書いてあるのかは読めません。

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二天門の内側には派手に決まった二天がおられます。

色合いもポーズも刺激が強いです。

聖徳太子御廟へ

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こちらが目的でもありました。

そしてこちらが『聖徳太子御廟』です。

わかりやすくいうと、聖徳太子のお墓です。

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この磯長山 叡福寺は聖徳太子と、その二ヶ月前になくなられた太子の生母穴穂部間人皇后と、一日前(一説には同日)に亡くなられた太子夫人膳部大郎女とを葬っています。

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いわゆる「三骨一廟」です。

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ここはほぼ正面の写真になってしまっていますが、周りを石が囲んでいるのがわかりますか?

結界石と呼ばれるもので、内側の結界石は弘法大師・空海が一夜にして築いたものという伝承が残されています。

これを一夜で築くなんてすごい話ですね。

おわりに

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ここにあの古代史の英雄・聖徳太子が眠っておられるんですね。

歴史の教科書に名前を残した人がここに眠っておられるというにも不思議な感じです。

こちら聖徳太子の磯長墓を祭祀守護する性格の寺院であるところから太子寺、御廟寺、聖霊院の号もあり、四天王寺法隆寺とならんで太子信仰の中核をなした寺院です。

この一連の太子建立伝説を持つ八尾市大聖勝軍寺の「下の太子」、羽曳野市野中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と俗称され叡福寺は親しまれているそうです。

是非、大阪に行く機会があれば立ち寄ってみるのも面白いかもしれません。

聖徳太子ファンは是非チェックしてください。

 

なお、聖徳太子の生まれた場所は奈良県の橘寺です。橘寺をご存知なければぜひ、この機会にチェックしてみてください。明日香村にある素敵なお寺ですよ。

叡福寺

所在地:大阪府南河内郡太子町太子2146
電話:0721-98-0019
HP:http://www.shin-saigoku.jp/temple/11_eifukuji_01.html
駐車場:あり

 

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普段は看護師をしております。好きなものは日本史。特に古代史・平安・戦国・幕末が大好物です。都市伝説・フリーメイソンの話も大好きです。 休日は寺社、城、史跡巡りを主にしております。