真田幸村出丸城跡地にある心眼寺に立ち寄ってみた

続いて向かったのがこちら。
前回に続き戦国武将の真田幸村さんゆかりの地です。

 

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こちらが「心眼時」です。

心眼時とは!?

真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てたお寺です。
心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地といわれる場所です。
三光神社が真田丸の東側に位置し、心眼寺は西側にあたるとされています。

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堂々と出てます!真田幸村出丸城跡!!

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ちなみにこちらは京都見回り組の文字が!

山門の左側には大阪龍馬会が建立した「京都見廻組」墓所のでもあるそうです。
坂本龍馬を殺害した候補者で有力視されている京都見廻組の「桂早之助」・「渡辺吉太郎」の墓所にもなっています。

 

真田丸とは!?

 豊臣秀吉が築いた大坂城は上町台地の北端に位置し、周囲を淀川、大和川などに守られた堅城であったが、南方だけは平坦な台地に空堀を設けたのみで、防御が手薄であった。
1614年、豊臣氏と徳川方が一触即発状態となり、大坂方は諸国から浪人衆を集める。幽閉中の高野山から脱出して大坂城に入城した真田信繁は、積極的な出撃を主張するが、大坂方は篭城策を採る。
信繁は1600年(慶長5年)に、父の真田昌幸が指揮した信濃国上田城(長野県上田市)における上田合戦(第二次)において馬出しを利用した戦術を経験しており、信繁は南からの攻勢を想定し、平野口に独立した出城を築き、自らが守備につくことにより徳川方の攻撃を食い止めようとした。
12月4日早朝、徳川方の前田利常、井伊直孝、松平忠直らの軍勢が挑発に乗って攻勢を開始し、真田丸の戦いが行われる。ここで信繁は徳川方の兵を策によって多く引き込み、散々に打ち破ることに成功した。

引用元:Wikipedia「真田丸」

2016年の大河ドラマは「真田丸」です。きっとこの地が舞台となって描かれるはずです。

 

いざ、心眼時へ

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扉には堂々と真田家の家紋「六文銭」!
「真田幸村ゆかりの地」感がすんごいです。

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↑写真左手にあるのが心眼寺にある「まんなおし地蔵」さん。
なんでも「間の悪さを直してくれるお地蔵さま」とのこと。
「いつもタイミングが悪い」とお悩みの方は参拝してみはいかがでしょう。

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そしてその右隣にある、目的のもの。
真田幸村こと真田信繁の墓。

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幸村の墓は400回忌にあたる2014年(平成26年)に造られたものだそうです。

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心眼時は以上となります。

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この近辺は住所が真田山となっています。
もちろん近所の公園も真田山公園。

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今では平和な公園となっていますが、かつてはここで戦が繰り広げられたわけです。
…このあたりが真田丸になっていたということは大坂城にも繋がっていたわけです。
ここから大坂城って…。ほんとに当時の大阪城は大きかったんですね。

ということで、次回はもう一つ、真田幸村ゆかりの地として有名な場所に立ち寄ります。

心眼時

所在地:大阪市天王寺区餌差町2番22号
電話:06-6764-0630

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普段は看護師をしております。好きなものは日本史。特に古代史・平安・戦国・幕末が大好物です。都市伝説・フリーメイソンの話も大好きです。 休日は寺社、城、史跡巡りを主にしております。