松代藩9代藩主・真田幸教が建築!その名は「新御殿」

さぁ、海津城を後にし南下します。

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↑幟にあるように「六文銭の里」ということを実感します。

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街の中を歩けば六文銭がそこらじゅうに散らばっています。

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そして目指したのが「新御殿(真田邸)」です。

新御殿(真田邸)とは!?

江戸末期の御殿建築を知る貴重な屋敷
九代藩主・幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864(元治元)年に建築した松代城の城外御殿で、当時は「新御殿」と呼ばれていました。
江戸時代、大名の妻子は生涯江戸住まいを義務づけられていましたが、1862(文久2)年、十四代将軍・徳川家茂の時代に行われた文久の改革による参勤交代制度の緩和にともない、妻子の帰国が許可されたことから、松代にも屋敷が必要になりました。のちに、隠居後の幸教もここを住まいとし、明治以降は伯爵となった真田氏の私宅となりました。1966(昭和41)年、十二代当主・幸治氏により代々の家宝とともに当時の松代町に譲渡されました。

引用元:真田邸|施設のご案内|真田宝物館

松代藩9代藩主・真田幸教(ゆきのり)さんにによって建てられたそうです。こちらには真田家伝来の道具が納められていた土蔵や、表門、往時の姿を残す庭園などが残っている「御殿建築」は、全国にもほとんど例がなく、非常に貴重なものだそうです。

いざ、新御殿(真田邸)へ

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屋敷内には主屋である御殿のほか表門や土蔵7棟・庭園などが残されて、江戸末期の御殿建築を今に伝えています。

当時はあまり写真撮っていなかったため、詳しく紹介しいた素敵なサイトを見つけたのでリンクを貼らせていただきます。

参考真田邸(新御殿跡) | 松代城の周辺案内 | 攻城団(全国のお城検索サイト)

↑ご参照ください。

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これが噂の庭園ですね。唯一写真を撮っていたのがこちらです。

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9代藩主真田幸教に好まれた庭園は、「水心秋月亭(すいしんしゅうげつてい)」と名づけられました。心字池を中心に三尊石・滝口を南東に配した庭園は、ノロシ山をはじめとする周囲の山々を借景として取り込んでいます。池の水は城下町南部武家屋敷地の複数の「泉水(せんすい)」(庭池)を経て真田邸に流れ込んでいます。

引用元:邸内案内板

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とても綺麗な庭園でした。しばらく眺めていたくなりますね。

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瓦にも「六文銭」。
なかなかここまで六文銭を見る機会もそんなになかったですが、ここまで六文銭だらけになってくると少し見慣れてくるもんですね。

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どうしても真田幸村にフォーカスがいきやすい流れがありますが、幸村の兄・真田信之が戦国の世を生きのびたことから続いた真田の血脈。そういったことにも興味をもつ良き機会を作れました。

新御殿(真田邸)

所在地:長野県長野市松代町松代1
電話:026−215−6702
HP:http://www.sanadahoumotsukan.com/facilities/facility.php?n=2

 

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