聖徳太子と言えば「法隆寺」と考えるのが私でした。
比較的、関東圏の人だったり、あまり歴史に詳しくない人は私と同じ事を考えるかもしれません
関西圏、特に大阪の方は違うかもしれません。
奈良の英雄・聖徳太子が建立した七大寺の一つとされている大阪のお寺と言えば…。
こちら。「四天王寺(してんのうじ)」です。
では今回は聖徳太子ゆかりの地・四天王寺をご紹介します。
四天王寺(してんのうじ)とは!?
1400年前の推古天皇元年(593)、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院。その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式。日本では最も古い建築様式のひとつだそうだ。仏教の根本精神の実践の場として、中心伽藍の北には、仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四箇院が設けられている。その後、幾度の戦禍と災難によって伽藍は焼失へ。現在の伽藍は昭和38年(1963)、当初のものを厳密に再興したものだそうだ。全敷地面積33,000坪、甲子園球場の3倍の広さをもつ四天王寺の境内には、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」など、たくさんの見どころが。また毎年4月22日、聖徳太子を偲んで行われる「聖霊会舞楽大法要」では、「天王寺舞楽」が舞われている(国の重要無形民俗文化財)。
引用元:四天王寺 | SIGHTS and FACILITIES SEARCH 観光施設検索 | OSAKA-INFO 大阪観光情報 ASIAN GATEWAY OSAKA
ということで聖徳太子ゆかりの地としても有名です。
そして、昨今都市伝説ファンの中では有名な「聖徳太子の予言」とされる『未来記』と『未然本紀』が四天王寺から発見されたという話です。
「聖徳太子の予言」について知りたいという方は是非、こちらの記事も合わせてご覧ください。
合わせて読みたい 聖徳太子の予言書「未来記」!クハンダによる東京壊滅が的中となるのか
少し話がそれてしまいましたが、さっそく四天王寺へ参りましょう。
いざ、四天王寺へ
大きな石鳥居が待ち構えています。
うん。かっこいいです。
鳥居上部には扁額が掲げられています。
「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」
意味は「釈迦如来が説法を説くところで、ここが極楽東門の中心」ということだそうです。
↑こちらが「引導石」
四天王寺の引導石は、境内にある四石(しせき)と呼ばれる四つの霊石の1つとされています。
「引導」とは人々を導いて仏道に引き入れること。死者を葬る前に法語などを説き、浄土へ導くことです。
現在では、いかにも最後通告のような形で使われることが多い言葉です。
死んだことを解らせる儀式であるところから、相手が諦めるための最終的な宣告の意味で使われるようになったとか。
西大門(極楽門)はすごい迫力です。
転法輪
法輪は、お釈迦様の教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴です。転法輪を回すとき、「あらゆる迷いの心が滅し、身心が清浄となりますように」と念じて合掌し、軽く右にお回し下さい。
境内説明版
とのことです。もちろん回しておきました!
こちらが正面からの写真。それにしても広いお寺なんですね。
全部じっくりは見てまわる時間が割けなかったのでかけ足で見てまわります。
「義経よろい掛け松」
源義経がここから吉野山(奈良県)に逃れる途中、四天王寺で休んだ際に近くにあった松の木に鎧を掛けた所から「鎧掛けの松」の名が付いたとされるそうです。
北鐘堂
正式の堂名は「黄鐘楼(おおしきろう)」というそうです。
黄鐘調の鐘の音は祇園精舎の鐘の音と同じ響きを持つとされています。
そのため北鐘堂の鐘はいつしか引導鐘と呼ばれ、この鐘を撞くと、その音はあの世まで響くため極楽浄土にいるご先祖さままで届くとか。
それゆえ現在でもお彼岸には数あるお堂の中でもこの北鐘堂にお参りする人が多いそうです。
「亀の池」…正確には「大寺池」だそうです。
亀さん…可愛いです。
↑写真奥にある建物が「六時堂」
昼夜六回の諸礼讃をするところから「六時礼讃堂」とされています。
修正会や聖霊会などの大法要はこのお堂で執り行われるそうです。
↑さらに写真手前の「石舞台」
こちらは重要文化財です。住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台と並ぶ「日本三舞台」の1つです。
聖徳太子の命日である4月22日には、終日雅楽がこの舞台で奉納されています。
「亀井不動堂」
聖徳太子「楊枝の御影」の逸話にはつづきがあります。[聖徳太子が立ち去ろうとすると井戸から尊い声がした。見ると水面に不動明王のお姿がある。感激した太子は不動尊を石に刻んで安置された。」という。これが亀井不動の由来で本尊は不動明王です。
大勢の方が水をかけてお祈りされているのでしょう。緑の苔で覆われています。
掌に乗る大きさですが迫力満点で魔障を屈服させるという憤怒の形相で座っておられます。
まさに絶え間なく水をかけられている「水かけ不動」。
首から下はもはや苔に包まれている状態ですね。
↑番匠堂
今から1400年前、四天王寺を建立するにあたり、
聖徳太子は朝鮮半島・百済国より番匠と称される名工を招き、
高度な建築技術を日本文化に取り込まれました。このことから、建築業界の人達からは、聖徳太子は
「大工の始祖」として崇拝されているのだそうです。
確かに、大陸からの文化を取り入れた聖徳太子。
建築技術も輸入したのだから「大工の始祖」と称えられるのも自然な流れですね。
四天王寺に来るまでそのような称えられ方をされているなんて恥ずかしながら知らなかったです。
↑普賢菩薩
↑太子井戸屋形
↑南鐘堂。正式には鯨鐘楼(げいしょうろう)
北鐘堂(黄鐘楼)の音は陽春の音で、南鐘堂は盤渉調の「秋の幽寂の響き」とされています。
聖徳太子を祀る聖霊院
ここが聖霊院です。
中心伽藍の東に位置する一画で、「太子殿」とも言い、聖徳太子を祀る。中心伽藍は鉄筋コンクリート造だが、この一画は木造建築である。主要な建物は前殿と奥殿である。前殿は1954年の建立で、入母屋造妻入。聖徳太子孝養像(十六歳像、秘仏)を祀る。奥殿は1979年の完成で、聖徳太子摂政像(松久朋琳・宗琳作、秘仏)を祀る。一見法隆寺夢殿に似ているが、夢殿の平面が八角形であるのに対し、この建物の平面は完全な円形である。奥殿のさらに北にある絵堂(1983年完成)には杉本健吉筆の聖徳太子絵伝壁画がある。
引用元:Wikipedia「四天王寺」
そして聖霊院を後にして向かうのが…。
↑東大門
ここには金剛力士像がいらっしゃいます。力強い感じが表現されています。
おわりに
↑そしてここが中心伽藍となります。
ぶらりとひらめき感覚で立ち寄ってみた四天王寺。
その広さには圧倒されます。まだまだじっくり見てまわりたかったのですが時間が足らなかったです。
聖徳太子が建てたお寺が今の残っているということがまずすごいことですよね。それだけ、多くの人に愛されてきた証拠といえると思います。
次回はダイレクトに中心伽藍を攻めたいと思います。
四天王寺
所在地:大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
電話:06-6771-0066
駐車場:50台(バス可)有り 普通車:1時間500円、以降30分毎250円
HP:http://www.shitennoji.or.jp/
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