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香取神宮とは巨大ナマズの尻尾を押さえ地震を鎮めている千葉県の聖地

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こんばんは。神社大好きmasayan(@masayan382)です。

うちのブログではまだ取り上げてない千葉県に着手します。

今回ご紹介する神社は千葉県屈指のパワースポット【香取神宮】です。

香取神宮

こちらの神社は関東地方を中心として全国にある「香取神社」の総本社です。

茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社でもあります。

その格式高い香取神宮を参拝します!

香取神宮(かとりじんぐう)とは!?

千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する。日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、全国でも有数の古社である。

古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。

文化財としては、中国唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が国宝に指定されている。建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の重要文化財に指定されており、その他にも多くの文化財を現代に伝えている。

引用元:Wikipedia「香取神宮

ちなみに御祭神は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。

経津主大神をご存知でしょうか?

その出自について、『日本書紀』(720年)では異伝として、イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)を斬った際、剣から滴る血が固まってできた岩群がフツヌシの祖であるとしている。また別の一書として、カグツチの血が岩群を染めイワサク・ネサク(磐裂神・根裂神)が生まれ、その御子のイワツツノオ・イワツツノメ(磐筒男神・磐筒女神)がフツヌシを生んだとしている。その後『日本書紀』正伝では、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣され、大己貴命と国譲りの交渉を行なったという。

引用元:Wikipedia「香取神宮

なお、『古事記』では経津主大神は登場していませんのであしからず。

当ブログにおきましては出雲シリーズの中で日本神話の国譲りの話もしています。合わせて御覧ください。
LINK 出雲大社の創建は神代!?古代より大国主大神が鎮座する縁結びの聖地
 
LINK 神魂神社と書いて「かもす」神社!天穂日命の子孫が奉仕していた社 

 

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では、さっそく参りましょう!

いざ、香取神宮へ

香取神宮の鳥居

駐車場に車を置き参道を進みます。

香取神宮の石燈籠

美しく、広い参道を進みます。

途中途中にある石灯篭がまたいい雰囲気を出してくれています。

香取神宮の鳥居と狛犬

キリッと決まった狛犬さんと鳥居。

そしてその奥に朱色の建物が見えてきました。

香取神宮の総門

こちらが大変に立派な総門です。

香取神宮の手水舎

さ、手水舎で両手と口を清めて参拝です。

香取神宮の楼門

そしてなんとも豪華な楼門。

香取神宮の楼門

見上げるその高さ!吸い込まれてしまいそうな壮大感!

ちなみに楼上の額は「東郷平八郎」の筆によるものです。

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ぜひ、チェックしましょう!

香取神宮の案内板

 

大神は天照大神の御神勅を奉じて、国家建設の基を開かれ国土開拓の大業を果たされ
た建国の大功神であります。

故に昔から国民の崇敬非常に篤く、国家鎮護・国運開発の神、民業指導の神、武徳の祖
神として広く仰がれております。

御創祀は、神武天皇十八年と伝えられ、現在の御社殿 は元禄十三年の御造営に基ずく
ものです。

明治以降は、官幣大社に列せられ、毎年四月十四日の例大祭には宮中より御使いが参
向される勅祭の神社であります。

〜案内板より〜

楼門をくぐり、見えてきたのが拝殿・本殿です。

五代将軍徳川綱吉によって造営された香取神宮拝殿・本殿

香取神宮拝殿・本殿

拝殿・本殿は五代将軍徳川綱吉によって造営されました。

香取神宮拝殿・本殿

そして何度も触れますが、御祭神は経津主大神です。

この派手に仕上げてる感じが少し徳川感が出てるなぁ〜ってのが個人的感想。

香取神宮本殿

美しい社は今なお健在です。

香取神宮本殿

ちなみに本殿・幣殿・拝殿が連なる権現造の社殿は、同形式では最大級の規模とされています。

この雄大な造りを楽しみましょう。

境内はまだまだ広く見所満点

香取神宮クラスになると拝殿・本殿以外にも見どころたくさんです。

海上自衛隊練習艦「かとり」の錨

こちらは海上自衛隊練習艦「かとり」の錨です。

練習艦「かとり」は昭和45年に建造され、海上自衛隊の幹部候補生の訓練航海に用いられました。

平成10年に「かとり」は除籍となり命名の由緒の深いこの香取神宮に奉納されたとのことです。

三本松

↑三本松

源頼義公が参拝した折に、「天下泰平・社頭繁栄・子孫長久」の3つの願いをこの杉の木にかけたところ、1本の杉が三枝に別れたというお話が伝わります。

匝瑳神社(そうさじんじゃ)

↑匝瑳神社(そうさじんじゃ)

桜大刀自神社(さくらおおとじじんじゃ)

↑桜大刀自神社(さくらおおとじじんじゃ)

鹿島新宮

↑鹿島新宮

宝物館

↑宝物館

香取神宮の御神木

↑御神木

香取神宮の諏訪神社

↑諏訪神社。

天降神社・市神社と馬場殿神社

護国神社

 

護国神社

↑護国神社

見どころが多くてすべて見てまわるのも大変なレベルです。さすが東国三社の一社です。

そして、次からは香取神宮の目玉ともいうべき要石と奥宮をご紹介します。

香取神宮の目玉!これが要石だ!

要石への案内板

これから香取神社の目玉に着手します。

押手神社

↑要石の向かいにあるのが押手神社

そして、こちらにあるのが要石!

要石

 

古伝によればその昔、香取・鹿島の二柱の大神は天照大神の大命を受け、葦原の中つ国を平定し、香取ヶ浦付近に至った。しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。

これは地中に大きなナマズが住みつき、荒さわいでいると言われていた。大神たちは地中に深く石棒を差し込み、ナマズの頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。

東宮は凸形、鹿島神宮は凹型で地上に一部だけを表し、深さ幾十尺とされている。1664年3月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることができなかったと伝わる。

〜案内板より〜

巨大ナマズが地震を引き起こしてたなんて…。

しかも石棒を差し込んで地震がなくなったなんてすごい話です。

説明にもあるように茨城県の鹿島神宮と繋がっているそうで、鹿島神宮にも要石があるそうです。

こちらは、おいおい記事化しますのでまた後日。

要石

あの水戸黄門としても有名な徳川光圀さんも見ることができなかった要石の全体像。

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地中でどんなことになっているのか気になります!

香取神社に来たからには要チェックです。

徳川光圀さんシリーズの記事はこちらにもあります。ぜひ、合わせて御覧ください。

LINK 袋田の滝が凍る!?日本三名瀑が「氷瀑」するその光景を撮りにいく 

LINK 大洗磯前神社は神が降臨した社!水戸黄門も称えた鳥居は今も美しい 

香取神宮 奥宮

香取神宮奥宮

そして、香取神宮の奥宮です。

香取神宮奥宮

ご祭神の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の荒魂(あらたま)を祀ってある場所です。

こちらの社殿は、昭和48年の伊勢神宮遷宮の際の古材を使用し建立されたものだそうです。

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神聖なことこの上なし。

経津主大神は国譲り神話の通り偉業を成し遂げた神様。勝負運を引き寄せたい参拝客が多いのが香取神宮です。

ぜひ、ここは奥宮まで参拝し、必勝祈願をするのがよさそうです。

おわりに

香取神宮

見どころたっぷりの香取神宮すごかったです。

実は要石のところでも触れていますが、実は茨城県の鹿島神宮とセットとなる香取神宮。

千葉県から遠く離れた奈良県ともつながりがあるんです。

それは、奈良県の世界遺産・「春日大社」に御祭神の経津主大神が勧請されています。

もちろん茨城県の鹿島神宮の御祭神「建御雷之男神」は鹿に乗って春日大社に来たってことになってますが、経津主大神が鹿に乗ってきたって話はなさそうですね。

そして、もう一つ小話があります。

経津主神については、元々、奈良県の「石上神宮」にお祭りされている布都御魂神と同じ神様であろうという説もあります。

 

masayan
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ぜひ、奈良県の春日大社石上神宮も合わせてチェックしてください♪

LINK 春日大社に行くシカない!武甕槌命が白鹿に乗ってきたという世界遺産 

LINK 石上神宮は起死回生を図れる奈良が誇る日本最古創建のパワースポット

香取神宮

所在地

〒287-0017 千葉県香取市香取1697−1

電話番号0478-57-3211
HPhttps://katori-jingu.or.jp/
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