今回は奈良県において一番おすすめしたいところをご紹介します。
前回の「東大寺大仏殿」を出てすぐ東へ。少し上って行きます。
なんとも趣のある重厚感ある石灯篭と坂道です。
東大寺を出た際にたくさんいた人もここまで来る人は少ないです。
この坂道の先にあるのが今回ご紹介するこちら。
【東大寺 二月堂(とうだいじ にがつどう)】です。
遠目にみても美しく、凄いところに建ってるのが一目瞭然ですね。
東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)とは!?
二月堂は、東大寺金堂(大仏殿)の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置する、十一面観音を本尊とする仏堂である。すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂がある。これらの堂が所在する一画を「上院」(じょういん)と称し、大仏開眼以前から存在した、東大寺の前身寺院があった場所である。
東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建時の建物の大部分を失っている。二月堂はこれらの兵火では類焼をまぬがれた[1]が、寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。現存する二月堂はその直後の寛文9年(1669年)、江戸幕府の援助を得て、従前の規模・形式を踏襲して再建されたものである。
この修二会が二月に執り行われるので「二月堂」。わかりやすいです。
二月堂が一番注目されるのも「修二会」の時かと思います。
ちなみに二月堂の周囲にはこのような建物もあります。
四月堂
毎年4月に法華三昧が行われるので『四月堂』です。
三月堂
東大寺最古の建物で、正式には『法華堂』(国宝)です。
毎年三月に法華会が行われたことから『三月堂』だそうです。
いざ、二月堂へ!
すっごい絵になるところです。二月堂。
坂を上って行きます。なかなかの傾斜のあるところに建設されてます。
この「二月堂」は傾斜地に前半部分がせり出すように建てられていて、床下に組んだ柱で建物を支える懸造(かけづくり)言われるスタイルです。
こういった「懸造」とうのは「清水寺」や、「長谷寺」などの観音を本尊とする寺の本堂にみられるそうです。
確かに長谷寺もすごいところに建ってました。
この楕円形と言っていいのでしょうか?少し特殊な形の提灯がまた存在感あります。
建物がとにかく綺麗。目が奪われるとはこのことでしょうか。
この二月堂を囲むような釣燈籠(つりどうろう)がまた渋い。
じっくり時間を気にせず眺めていられるような癒しの空間です。
こちらの奥に二月堂の秘仏として二体の「十一面観音」さまがおられます。
この二月堂は奈良時代の建物が近世まで存続していましたが、寛文7年(1667年)、修二会の最中に失火で焼失してしまいました。
現存する二月堂はそれから1年足らず後の寛文9年(1669年)に将軍徳川家綱の援助で再建されたものだそうです。
東大寺も2度焼失していますが二月堂もです。焼失しても再建してくださっているおかげで、平成の世でも参拝できています。
本当にありがたいです。
ちなみに、なぜ「修二会」という法要で焼失してしまったのかというと炎がとても激しい法要だからなんです。
その様子はこちらの記事でレポートしています。
↑本当に激しくも美しいすごいものなのでご覧になられた事がない方は是非合わせて御覧ください。
東大寺二月堂の秘仏とは!?
二月堂の本尊は大小2体あり、いずれも十一面観音である。1体は内陣中央に安置され、「大観音」(おおがんのん)と呼ばれ、もう1体は厨子に納められ、通常は大観音の手前に安置されているもので、「小観音」(こがんのん)と称される。大観音・小観音ともに絶対の秘仏で、修二会の法要を務める練行衆さえもその姿を見ることは許されない。
本当に存在するのか確認できないが、存在するものとして信仰し今でも祭っているというこの歴史。
すごいですね。この目に見えないものを信じるということから全てが始まっているのでしょう。
二月堂に行くなら「良弁杉」を是非チェックしましょう!
どうすですか?とても美しい眺めですよね?開放感もありとても気持ちのいい展望です。
そして上の写真右側に見える杉の木が有名な【良弁杉】です。
こちらには面白いお話があります。
良弁杉にまつわる面白い話とは!?
子宝に恵まれず、ある日、観音様にお願いしたところ男の子を授かりました。
喜んで育てていたある日の事。畑での仕事中に、母親の知らぬ間に静かに降りてきて、赤子をワシづかみにして空へ飛んでいってしまったのです。
赤子を連れ去られた事に気がついた母親は後を追いかけましたが追いつくことはできませんでした。
とうとうワシは奈良まで飛んで行きました。そして今の二月堂の下の杉の枝の下にひっかけて食べようとしたその時。
その赤子の胸のあたりから後光がさしてワシのの目がくらんでしまいました。
そして、ワシはついに食べる事が出来ず、諦めて飛び去っていくのでした。
その下をたまたま「義淵(ぎえん)」というお坊さんが通り、赤子の泣き声がするので上を見上げました。
すると、枝に赤子がひっかかっているではないですか。
すぐに人を呼んでこの子を降ろして見ると、懐に一寸八分(5.4cm)の金の観音様のお守りが入れてありました。
義淵はこの子を「良弁」と名づけて育てます。良弁は後に立派なお坊さんになり東大寺の建立に力を尽くしました。
そしてその後、さらわれてから30年間、全国を探し回っていた母親ともその「杉の木の下」でめぐり会う事ができました。
というお話。
今ある良弁杉は新しいものだそうです。
この、良弁という人は、持統三年(689年)に生まれて宝亀四年(774年)に死没したといわれている華厳宗の僧で、通称・金鐘行者と呼ばれた実在の人物です。
何よりこの方、東大寺初代別当になられた方でもあるのです。
そんな良弁さんの逸話がこうして残っているというのも凄い話です。
あまり人が来ていない二月堂の裏側へ
どうですか?人のこない裏側でさえ美しい。
こちらにも余すことなく二月堂を象徴する提灯が綺麗に並んでいます。
二月堂を一周して大満足です。なんとも見ごたえしかない凄いところです。
おわりに
大仏殿よりも個人的には大好きな場所です。
眺めもいいですし、造りもすごいし、大仏殿と比べれば人も少ないですし。
少しゆったり見て回るのにはもってこいの場所だと思います。
奈良の「東大寺」で大仏様を見た後は少し足をのばして二月堂までいらしてはいかがでしょうか?
大仏殿を見て帰るのはもったいないと思います!
東大寺 二月堂
所在地:〒630-8587 奈良市雑司町406-1
電話:0742-22-5511(東大寺代表)
拝観時間:24時間参拝可能
入堂料:無料
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