青森県まで足を伸ばしたからにはどうしても立ち寄りたい場所がります。
歴史好きならやっぱり城を見に行きたいのです。
積極的に城攻めをしているわけではないのですが、それでも立ち寄れる城には立ち寄るのがmasayam(@masayan382)です!
青森県といえばこのお城。
【弘前城(ひろさきじょう)】です!
参りましょう!
弘前城(ひろさきじょう)とは!?
弘前城(ひろさきじょう)は、陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町)にあった日本の城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
引用元:Wikipedia「弘前城」
江戸時代には津軽地方の政治経済の中心地だったそうで、小説家の司馬遼太郎さんは弘前城を「日本七名城の一つ」と紹介しているほどだとか。
また、桜の名所としては有名なところでもあります。
ちなみに、完成当初は高岡城という名前でした。5層の天守となっていたそうですが、落雷による火災で天守を消失。天守の三層目には弾薬庫があったことから大爆発も起こったとか。
火災の翌年には「弘前城」と改名。この名前には魔除けの意味があるんだとか。それ以降は火災のないお城となったそうです。
いざ、弘前城へ
車を置いて、いざ進みます!
工業高校が隣接しておりました。城を見ながら学生生活が送れるなんて羨ましい限りです。
埋門跡
埋門とは、石垣などの間に築かれる裏門の一形式だそうです。
そして、立派な石垣はいたるところに健在でした。
石垣にうっとりしながらも進みます。目指すはもちろん、天守閣です!
弘前城・天守閣
弘前城は津軽を統一した津軽為信が計画し、二代藩主信枚が慶長十六年(一六一一)に完成させた。
当初の天守は五層で本丸西南隅に構築されていたが、築城から十六年後の寛永四年(一六二七)に落雷により焼失した。
現在の天守は、江戸時代末期の文化七年(一八一〇)九代藩主寧親により、本丸辰巳櫓を解体新造したものである。
建築年代は新しいが、濠側の東・南両面には鉄扉窓をつけず、矢狭間だけとし、また、一・二層にはその中央に張り出しをつけ切妻破風、石落としを設けるなど子形式になっている。
江戸時代に建築され、現存する天守としては、東北地方唯一のものであり、小規模ではあるが、全国の城郭天守の中でも代表的なものである。案内板より
さっそく中へ進みます。
当時の建物だからか高さが低めで頭をぶつけそうになる階段。
そして、これまでの歴史をまとめたものから展示物といろいろなものが所狭しと並べられていました。
そして天守からの長めも素晴らしかったです。
城内もみてまわる
天守を後にし、城内もぐるりとみてまわります。
本丸未申櫓跡
かつてはこちらに櫓があったそうです。櫓の名前は天守から見た方角を12支で示したもので、未申は南西に当たりるとのこと。
石垣普請番屋
その名の通り、石垣についていろいろご紹介いただけます。
石の積み方でも時代などがわかるというところが本当に奥が深いですよねぇ。
石垣の知識を持ってから城内をまわるとさらに石垣の見方・受け取り方が変わってきます。
石を加工するというのもすごい話です。もちろんこれらを運ぶのも人力でしょうし。。。城の普請というのも大作業です。
一見すると普通に通過してしまいますが、お堀もお見事!攻めかかるには難しさを演出する素晴らしい防御機能です。
二の丸東門与力番所です。
二の丸南門も重厚感溢れる城門でした!
石垣修理
私が訪れた2017年はまだ修理中でした。修復作業も重機を入れたとて大変な作業であることには変わりありません。
こうして歴史的建造物を残していけることが素晴らしいですね。
おわりに
桜の名所として知られる弘前城!修理も終わった春先に是非また訪れたいと思えるお城でした。
弘前城
所在地 | 〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1 |
---|---|
電話番号 | 0172-33-8739 | 駐車場 | あり |
HP | https://www.hirosakipark.jp/ |
コメント