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小田原城とは建築美と機能美を兼ね揃えた難攻不落・無敵の城だ!

読了時間:約 6

大河ドラマ「真田丸」が放送されて以降、戦国人気にも火がつき、刺激を受けた人間ほど行きたくなった場所がありました。

それは。。。「城」です。

masayan
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あぁ、城攻めがしたい!

そうは思っても周りには城がないもの。そう思っていたところ、ギリギリ射程距離内に平成の大改修が終わったばかりの美しい城が姿を現したのでした。

小田原城

今回ご紹介するのは小田原城です!

軍師官兵衛のときも、真田丸でも戦国時代の天下取りの際にはこの城を無視するわけにはいかないでしょう。

この記事は2017年6月17日の訪問時の内容になります。

小田原城(おだわらじょう)とは!?

北条氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。しかし、建築者は不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。慶長19年(1614年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させている。地元地方の城郭にこのような大規模な総構えがあることを警戒していたという説もある。ただし、完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残る。古地図にも存在が示されており、小田原城下と城外の境界であり続けた。明治初期における小田原町の境界も総構えである。

引用元:Wikipedia「小田原城」

かつては上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた難攻不落、無敵の城といわれるほどのお城でした。豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させます。

つまり、無敵の城をさらに進化させ総構えを完成させた結果、秀吉軍は物理的に攻めるということをせず囲むだけとなり、三ヶ月耐え抜くも無血開城となるのでした。

そういった点で見ると、やはり小田原城は無敵の城だったのでしょう。

そんな小田原城ですが明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。

現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)には馬出門が復元されました。

観光地となり多くの来場者がおとずれる小田原城ですが、耐震診断の結果、今後継続的に使用するためには耐震補強が必要であるとされました。館者の安全確保のため平成27年7月から平成28年4月にかけて工事を施工。

この平成の大改修が無事に完了したタイミングとマッチし、城攻めをする運びとなりました。

いざ、小田原城へ

小田原城
水堀が素晴らしいく大きいです。
やっぱり城の周りに水堀があるってだけで普通に攻められるもんではないですね。

小田原城
橋が見えてきました!

小田原城
とういうことで小田原城正規ルートで中へ入ります。

馬出門

小田原城
馬出門は二の丸正面に位置する門で、馬出門、内冠木門と土塀で周囲を囲む枡形門の構造を持ちます。

小田原城
まだまだ天守までは遠いみたいです。

小田原城
シン・小田原城であると同時に実はあじさい祭りもシーズンだったようです。

あじさい

あじさいも美しく咲いておりました!

銅門

銅門
ここはちょうど二の丸の正門にあたります。

渡櫓門(わたりやぐらもん)、内仕切門(うちじきりもん)と土塀で周囲を囲む枡形門(ますがたもん)の構造になっています。

銅門
銅門(あかがねもん)と言われるだけあって銅が使われています。


そして見上げると何やら謎めいた空間に補足が入ってます。
はい。「石落とし」と書いてありますね。

つまり、門をこじ開けようとしている人間に上から攻撃をするための窓があそこにあります。

銅門
銅門を通るとなんと本日は特別公開が行われておりました。
毎週土・日曜日および祝日に、普段立ち入ることができない銅門内部の特別公開を行っているとのこと。

銅門内部
銅門内部はきれいにされてました。復元処理がしたばかりなんですかね。

石落とし
上からの石落としエリアです。

以前、書籍で読んだのですが、「石落とし」からは石だけでなくお湯でもなんでも落としたそうな。

masayan
masayan
命かかってますからね。なんでもありですよそりゃ。

小田原城
これだけ天気がいいと、広い城内を歩くのも気持ちがいいものです。

常盤木門

常盤木門
小田原城本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門があったそうです。

このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていたそうです。

現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971年)3月に完成たものだそうです。

常盤木門
強固に作られただけあって本当に立派。とにかく分厚い。これを攻めるってのは本当に大変ですよ。

常盤木門
振り返るとよくわかるのですが、進行方向を門の方へコの字へ無理やり変更されております。
そして背後の渡り櫓の窓から撃たれたりするんでしょう。
進行方向の後方、側方から攻められ簡単には門を集中攻撃できないようにされている。

こういった城の建築物としての美しさもさることながら、城を守るという機能美にあふれているところが美しいですねぇ。

猿
場内になぜかお猿さん。

猿
なぜ、場内にお猿さん。。。

小田原城天守閣へ

小田原城天守閣
ついにここまでたどり着きました。

目的地、小田原城天守閣。さっそく攻め込みます!

小田原城天守閣
3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2となっています。

小田原城天守閣

小田原城
中は各階展示物がありました。
平成の大改修の前に来たこともあったのですが、だいぶキレイになっていてびっくりしました。

甲冑類
刀剣や甲冑類の展示物。

展示物
小田原城の歴史について。

眺め
いろんな展示物を見ながら上がっていくとそこには素晴らしい眺め!

展望デッキからは海も山も見える素晴らしい見晴らしでした。

見晴らし
海も陸地も秀吉軍に囲まれて「明日攻め込んでくるかも」なんて思っている中、日増しに食料が減っていくとか…戦場の緊張感が何日も続くとなると精神的にもやられてしまいそうです。

見晴らしの良さが自分たちのおかれている状況をよく教えてくれるという不安材料にもなってしまったんですかねぇ。戦とは恐ろしいものです。

摩利支天像
最上階の展望デッキの部分には小田原城天守再現として摩利支天像の安置空間も再現されていました。

おわりに

平成の大改修ということもあり、とても美しく改修された「シン・小田原城」になってました。

是非とも小田原城に足を運んでみてください。

建築美と機能美を兼ね揃えた無敵の城は令和の世にも健在です!
 

小田原城

所在地
〒250-0014 神奈川県小田原市城内
電話番号 00465-22-3818
駐車場 一般駐車場はありません。周辺の有料駐車場をご利用ください
HP https://odawaracastle.com/

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