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ここが源頼朝の墓!源氏の棟梁・鎌倉幕府初代征夷大将軍はここに眠る

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いよいよ鎌倉の要的スポットに向かいます。

もはや鎌倉といえば鎌倉幕府といっても過言ではないはず。

鎌倉に幕府を開いた人物とは誰でしょう?

源頼朝です。歴史が好きじゃないという人も歴史の教科書でこの名は目にしたことがあるんじゃないでしょうか。

実は鶴岡八幡宮から徒歩圏内で源頼朝のお墓に行けるのです。ご存知でした?

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今回はその源頼朝のお墓を目指します。参りましょう。

源頼朝とは!?

源 頼朝(みなもと の よりとも)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。

河内源氏の源義朝の三男として生まれる。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると、北条時政、北条義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。

これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれ、後に鎌倉幕府とよばれた。

頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。

引用元:Wikipedia「源頼朝」

実はmasayanは母よりうちの家系は平家の生き残りであり末裔であると言われてきました。なので母方の実家のお墓には平家由来の蝶の形の家紋が刻まれています。

そのため源平合戦は平家押しのmasayanです。ちなみにですが、推しメンは平重盛ですw

話を戻します。なので源氏の知識ってある時期まで歴史の教科書でした名前を見なかった源頼朝って人が鎌倉幕府を開いたんだぁくらいにしか知りませんでした。

ところが、大河ドラマ「平清盛」を見て衝撃だったんです。

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masayan

頼朝ってこんな幼少期~青年期を送っていた人物だったんだ


って。本当に衝撃でした。

↑のウィキペディアではさらっと書いてますけど、父親は清盛に負け、味方に裏切られて風呂場で死んで(大河ドラマ「平清盛」ではちょっとずらしてキレイに描かれてましたが)、兄弟たちも殺されまくり、流罪となって生き延びるも生ける屍のような日々を送り、最初の子は義父に殺されてしまいます。

北条政子が励まし奮い立ち、平家打倒のため挙兵。結果、平家を討ち滅ぼすも弟・義経が自分の知らぬ間に朝廷から褒美をもらい、弟に危機感をいだき討伐。自害に追い込みます。

1199年 1月13日 頼朝は亡くなります。亡くなった後は鎌倉幕府の後継は誰が継ぐのかとなり、息子たちが選ばれるわけですが相次いで亡くなり、妻方の北条家が政権を握ることとなります。

実は源家は三代で途絶えてしまいました。

なんとハードな人生を送った武将なのでしょう。天国から地獄まで味わっている山あり谷ありの歴史に名を刻んだ人物です。

そんな頼朝のお墓に参ることができようとは…夢のようです。

白旗神社へ

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途中で見えてくるのが白旗神社です。

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建久9年(1198年)重臣の稲毛重成が亡き妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に出席した帰りの道で落馬したということが『吾妻鏡』に記されており、最も良く知られた説とされています。

かつてはこちらに法華堂があったそうですが現在は白旗神社が建っています。この場所で頼朝は葬られました。

源頼朝の墓

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では先を目指します。

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白旗神社を後にし、石段を登ります。

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↑見えてきました!ここが源頼朝のお墓です。

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長い石段を登った山腹に建つ供養塔は、安永8年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪が建てた供養塔です。

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なぜ江戸時代に島津藩主が建てたのかというと、島津重豪の先祖である島津忠久は源頼朝の子ともいわれている鎌倉御家人だったからです。

つまり、先祖の供養塔を子孫が建てたということです。素晴らしい話です。

 

おわりに

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歴史上の、歴史の教科書で目にするくらいの有名人のお墓に参拝できただけで、歴史好きの看護師としては感無量でした。

同じ幕府を開いた徳川家康の東照宮はすんごいド派手なんですけどね。鎌倉幕府を開いた元征夷大将軍のお墓としては少し質素な、シンプルな印象でした。

歴史を好きになる前は「弟の義経に嫉妬して討ち滅ぼすクレイジー兄さんなんだろ?」くらいの偏見を持っていた自分が恥ずかしく感じます。

あれだけハードな人生を送ったら、今の価値観では考えられないいろいろなことがあったんだろうなと少し思うところがあります。

実は平家は身内で殺し合うことはしません。身内を殺すのは源氏でした。環境の違いというのは大きく影響したのかもしれませんね。

是非、鶴岡八幡宮を訪れた際はここまで足のばしてみてはいかがでしょうか。これであなたも鎌倉通です。

 

 

源頼朝の墓

所在地:神奈川県鎌倉市西御門2丁目5番
 

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