ここが織田信長が掲げた「天下布武」への足掛かり。稲葉山城改め岐阜城!

では、前回の続きを。
岐阜公園からロープウェイに乗ってある程度まで金華山を登りました。
ここからは自分の足で上っていきます!

では、さっそく順路に従って進んでいきます。

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え!?猪出るの??

では、金華山を登ります

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山道だけに傾斜もすごいです。

どうやら金華山ロープウェイを使わないで上ってくるスタイルもあるそうですが…。
俺のような喫煙者の肺にはきつそうです(笑)

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閻魔堂

この閻魔堂に安置されている「木造閻魔王坐像」は延文3年(1358年)5月、土岐頼康が四代目守護として岐阜県土岐郡から美濃へ進出し、岐阜市下川手に「革手城」を築いた際、「鬼門・悪病よけ」と「美濃の繁栄」を祈願し、閻魔堂を建立し、安置したと伝えられています。

この閻魔様は、岐阜城が落城するまでは、川手村の閻魔堂に安置されていましたが、その後は、僧侶の家で保管され、 昭和51年9月21日に岐阜市の鬼門除けとして金華山頂岐阜城二の丸跡に閻魔堂を造り安置されたものだそうです。


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こちらが井戸跡。落ちないように網や柵が設けられています。

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この日は遠足だったのか黄色い帽子の子供たちがはしゃいでおりました。

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こちらが資料館です。

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ようやく到着!

岐阜城とは!?

 金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。
天正4年(1576年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。
1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、天守閣・櫓等は加納城に移されました。
現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。

引用元:岐阜城|岐阜観光コンベンション協会

いざ、岐阜城へ

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入城!!

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中には当時を忍ばせる品々。

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しゅ、手裏剣!

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信長様!お邪魔しております。

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これが最上階からの眺めです。

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美しい眺めです。

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岐阜市がしっかり見渡せますね。

…というかこの高さ。ロープウェイを使ったからいいものの、当時は下から荷物を持って登ったんでしょうね。
改めて山城ってやつはすごいわぁ~。
かつては斉藤道三も織田信長もこのような景色を見ていたのでしょうね。

岐阜城

所在地:岐阜市金華山天守閣18 金華山頂
駐車場:岐阜公園に停めてください
HP:http://www.city.gifu.lg.jp/3537.htm

 

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  1. 【救命センターに勤めて燃え尽き症候群になった看護師の話】

  2. …のような記事を予定しております。現在、順調に執筆中!お見逃しなく!!

   
 
 

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普段は看護師をしております。好きなものは日本史。特に古代史・平安・戦国・幕末が大好物です。都市伝説・フリーメイソンの話も大好きです。 休日は寺社、城、史跡巡りを主にしております。