JR奈良駅から三条通りを歩いているときにたまたま発見したのがこちら。
「聖武天皇陵」の文字でした。
え、駅前から歩いて行けちゃうの??ってことでせっかくなので行ってみようということに。
勢いに身を任せて聖武天皇陵へ向かうこととしました。
聖武天皇(しょうむてんのう)とは!?
第 45代の天皇 (在位 724~749) 。名は天璽国押開豊桜彦尊 (あめしるしくにおしはるきとよさくらひこのみこと) ,また首 (おびと) 。文武天皇の第1皇子,母は藤原不比等の娘,尊称太皇太后宮子娘。神亀1 (724) 年即位。先に入内した夫人安宿媛 (あすかべひめ。贈太政大臣藤原不比等の娘) を皇后 (光明皇后) とし,皇族から立后の旧慣を破った。仏教を深く信じ,国ごとに国分僧尼寺を建て,みずから経文を書写してこれに納めた。また東大寺を建立し,像高約 15mの大仏である盧舎那仏 (るしゃなぶつ) を鋳造した。
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ということです。
おそらく、一般的には東大寺や奈良の大仏様を作った人ってイメージが強いですかね。
少なくとも私はそんなイメージでした。
奈良の「きたまち」を抜けて、奈良女子大を抜けて、もう少し北へ行ったところに聖武天皇陵がありました。
歩いていける距離でしたね。
いざ、聖武天皇陵へ
入り口からなかなかの距離があります。
聖武天皇陵は「佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)」に治定されています。
考古学名は「法蓮北畑古墳」だそうです。
いままでの御陵と同様、柵が設けられているため立ち入りはここまで。
こちらに聖武天皇が眠られているのでしょうか…。
聖武天皇の治世の時期は災害や疫病が多発。また社会不安も強かったため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出しています。
日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けで東大寺を考えたそうです。
752年、ついに大仏さまに魂を入れる儀式である開眼供養会を行い、757年大仏さまが完成します。
最重要国家プロジェクトともいえる「東大寺大仏建立」の総責任者に「行基」さんを任じるものの完成を待たず749年に、亡くなってしまいます。
完成目前での出来事、聖武天皇も相当焦ったとと思います。
それでも立て直し、完成させてくださったからこそ平成の世でも大仏さまを拝めています。
過去に2度も火災を乗り越えられたのは聖武天皇の熱い想いがあったからなのかもしれません。
東大寺を訪れた際は聖武天皇陵まで足を運んでみてはいかがでしょうか。
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聖武天皇陵
所在地:奈良市法蓮寺町字北畠
駐車場:なし
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