まだまだ続く奈良県明日香村シリーズです。
続いて向かったのがこちら!
【飛鳥板葺野宮跡】です。
先日の蘇我入鹿の首塚でも触れました「大化の改新」として有名な乙巳の変の舞台となったところになります。
合わせて読みたい 蘇我入鹿の首塚はここ!討たれた首が飛んできたのは飛鳥寺のすぐ裏手
飛鳥板葺野宮(あすかいたぶきのみや)とは!?
1959年からの発掘調査により、多くの掘立柱建物、掘立柱塀、石組溝、石敷遺構などが検出されました。
その中で、「飛鳥板蓋宮」は、中大兄皇子・中臣鎌足が大化改新を断行し、蘇我入鹿を倒したといわれる場所とされています。
現在は地表上に当時の遺構を復元、整備されている観光スポットです。
現在の「明日香村」は「飛鳥京」と呼ばれることもあり、飛鳥時代の中心地だったそうです。
学術的には飛鳥京というのはイマイチなようですが。
まぁ、それはさておき、この地がかつての古代の日本の中心だったことには変わりはないです。
いざ、飛鳥板葺野宮跡へ
今や平和な光景が広がっております。
645年6月飛鳥板葺宮において、高句麗・百済・新羅の三国からの貢物を献上する儀式の最中に中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿の首をはねて殺害。
その知らせを聞いた父の蝦夷(えみし)も自宅に火を放ち自害し、蘇我宗家はここに滅んだわけです。
歴史の教科書で知るあの出来事の舞台に今自分が立っているのかと思うと感慨深いです。
さすがにここではねられた首が飛鳥寺の方まで飛ぶことは考えにくいですが…それくらいの出来事だったということなのでしょう。
この地で激しく歴史が動いた…。
そう感じる歴史好きにはたまらない場所です。
飛鳥板葺野宮後
所在地:奈良県高市郡明日香村岡
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