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上田城の前の真田家の拠点!真田氏本城跡を散策しました。

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こんばんは。masayan(@masayan382)です。
長野巡りはまだまだ続きます。やんわり真田巡りにもなっているのもご愛敬。
前回のお屋敷公園よりさらに進みます。

すると、見えてくるのがこちら。

「真田氏本城跡」です。
そうです。読んで字のごとく、真田のお城跡ということです。

真田氏本城跡とは!?

築城は戦国時代の天文年間(1532年 – 1555年)に、武田家臣の真田幸綱と伝わります。一方で、城の発掘調査によると縄張りは鎌倉時代の古い様式が見られ、真田氏以前にも山城が存在していたとの説もあります。

天文20年(1551年)に、武田晴信(信玄)の命を受けた幸綱は戸石城を村上氏より奪取して、小県の本領を回復しました。それ以来、幸綱・信綱・昌幸の三代に渡って、真田本城およびその支城群が整備されます。上田城に移るまでの間、こちらに真田氏の本城であったと現在考えられています。

真田と言えば「上田城」ですが、こちらはその前の拠点だったお城ということになります。
ちなみに別名は「松尾城」だそうです。

あと、最初に触れておかねばならぬことがあります。それは、これ、本当に真田氏の城だったかというと不明だということ。ここまで来ておいて、堂々と「真田氏本城跡」なんて看板まで立てて、観光マップにも載せておいてです。

しかし、真田氏の城でしたということで話を進めないと意味がないので、ここは「真田氏の城でした」ということでいきます。

いざ、真田氏本城跡へ

車を駐車場へ置いて進みます。
十分、車で上ってきましたがまだ登ります。

登り切ったところにはこちらの看板。

ここが真田氏本城跡地かぁ~。

石垣等は見当たらず。

土塁や曲輪跡がある程度ですかねぇ。
個人的にはやはり再建でもいいから城跡には城を建ててほしいなぁ~なんて。

現在はあまり面影というのは残ってなさそうでした。

なかなかの傾斜。甲冑を付けて上って攻めてくることも大変なことです。
「防御」を考えれば城は山城ってことになるんですかね。

まつぼっくりに囲まれている石像を発見!

こちらの坐像様の足元に妙なものを発見…。

一円玉に囲まれた五円玉6枚…。
これって…真田家の家紋「六文銭」を意識しているのでしょうか。

あ!コレ、おれのイタズラじゃないですよ!私が来た時からこうなってましたから!
硬化の上のほこりとか今しがた用意した感じではないでしょう?

これは数年前のものになりますので現在もこうなっているかは不明です。
最近真田氏本城跡に行かれた方はこれをご覧になっていたら教えていただきたいですね。

真田氏本城跡

所在地:長野県上田市真田町長5140-1
駐車場:あり

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