続いて向かったのは「奈良といえばココ!」と言っても過言ではないところ。
奈良の代名詞といえばこちら。
【東大寺】です。
個人的なところで申しますと、中学校の修学旅行ではるばる埼玉から見にきた記憶がかすかにあります。
…ですが、正直どんなものだったか覚えてないくらいです。
今でこそ、「もっと満喫して目に焼き付けてきたらよかったのに!」と後悔しています。
法隆寺の時もそうでしたが、大人になってようやくわかるものがあるんですよねきっと…と自分に言い聞かせました。
ということで、今回は大人になった今、改めて東大寺の魅力を確認しに参ります。
東大寺(とうだいじ)とは!?
東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。
金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら[1])ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である[2]。現別当(住職・221世)は、筒井寛昭。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。
東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。引用元:Wikipedia「東大寺」
全然知らなかったのが1998年に世界遺産に登録されていたこと。
私が修学旅行にきたときは1998年の前だったのでそんな情報がその後、耳に入ることがなかったです。
いざ、東大寺方面へ!
東大寺方面へ歩くと鹿さんたちが待ち受けております。
これでもかというくらい鹿さんたちが待ち受けています(笑)
こちらが南大門です。大変に大きな門です。
南大門とは!?
国宝。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。上層の正面中央には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものである。
引用元:Wikipedia「東大寺」
網が邪魔でしっかり写真に写せなかったのですが本当に立派な金剛力士像もあります。これ、必見です。
そして南大門を抜けると見えてくるのがこちら。
そしてこちらが「鏡池」
鏡池とは柄の付いた鏡の形をした島があるのによると云われているようで、「八幡池」とも云われています。
そして、その島には弁財天の祠があります。
いざ、東大寺へ
そしてようやく入り口へ。そして念願の東大寺です。
大仏殿!言わずともおわかりのように奈良の大仏さま・盧舎那仏さまがいらっしゃいます。
大仏殿に入ればすぐに大仏様にお会いできます。
盧舎那仏(るしゃなぶつ)とは!?
聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。その後、中世、近世に焼損したため大部分が補作されており、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。 「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。
東大寺大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願された。実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施された。 のべ260万人が工事に関わったとされ、関西大学の宮本勝浩教授らが平安時代の『東大寺要録』を元に行った試算によると、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出された
のべ260万人!約4600億円!!すごい労力と財力の投資です。
なぜ聖武天皇がそれほどまでに造象したかったのでしょうか。
当時猛威をふるっていた天然痘で相次いで多くの人が死去。そのほかにも、飢饉や地震、戦さなどの社会不安にさらされた時代だったそうです。
聖武天皇による東大寺大仏の造象には、こうした「社会不安を取り除き、国を安定させたい」という願いが背景にあったものと推測されています。
国や国民のための国家プロジェクト。それがこの平成の世にも残ってくれているのが嬉しい限り。
ところがそんな東大寺。燃えてしまったことがあるんです。
平安時代の1180年・平重衡の兵火による「南都焼討」
戦国時代の1567年・松永久秀の兵火による「東大寺大仏殿の戦い」
1685年、公慶が江戸幕府から大仏再興のための勧進(資金集め)の許可を得て再興に着手します。
こうして平成の世でも東大寺・盧舎那仏像を拝見できるんですね。ありがたい話です。
虚空蔵菩薩像
大仏様の向かって左側にいらっしゃるのが「虚空蔵菩薩」
虚空蔵菩薩とは、「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味だそうです。
智恵や知識や記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰されています。
広目天
四天王の一体で、西方を護る守護神として造像されることが多いそうです。
仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則なのだとか。
展示物
大仏様の背中側にはこうした当時の東大寺の模型が展示されています。
そして大仏様の手。
そして誰しもが行うのがこちら。
【柱くぐり】です。
穴の大きさは30cm×37cmで、柱の直径は120cm。大仏様の鼻の穴と同じ大きさなんです。
その穴をくぐることで無病息災のご利益があるとか。
この穴のあいた柱は、大仏殿の中でも北東、「鬼門」のど真ん中に立っているのだそうです。
「鬼門」から堂内に「邪気」が流れ込んできてしまい、この柱に邪気が当たると堂内に蔓延してしまいます。
そのため、柱に穴を開けて、「邪気」の流れを穴を通して逃がすようにした【鬼門封じ】なのです。
知ってか知らずかみなさん、大人も子供も外国の方々もくぐっています!
多聞天像
どうですか?多聞天、とてもかっこいいです!
多聞天は、単体で祀られるときは「毘沙門天」と言われます。
毘沙門天は戦勝の神とされており、四天王の中でも多聞天は最強の守護神とされています。
如意輪観音
如意輪観音です。
如意宝珠の三昧に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与える菩薩様です。
こうして東大寺大仏殿を1周しました。なんと見応えたっぷりなんでしょう。
賓頭盧尊者
そして出入り口には賓頭盧尊者。体の悪いところをなでると治ってしまう「なで仏」として有名です。
満足して帰ろうとすると見落としてしまう方もおられるかもしれません。せっかくですのでたっぷり撫でさせていただきましょう!
おわりに
それにしても、中学生にはこの凄さわからんよな~と思ってしまいました。
この凄さがわかって初めて大人になれたとでも言えるんかな?
ただ、大仏さんが大きいってことが凄いのではなく、これを造り国を守ろうとした聖武天皇の想いとか、この大仏さんが燃えても再建しようとした意図なんか想像して楽しむということは大人になったからできることかもしれません。
東大寺は是非、大人になってからもう一度訪れてほしいスポットだと実感しました。
東大寺
所在地:奈良県奈良市雑司町406−1
電話:0742-22-5511
HP:http://www.todaiji.or.jp/
駐車場:奈良県営大仏前駐車場(有料) 奈良市水門町南院畑82(南大門南側)
コメント
凄いですねー。
東大寺。
神々しいオーラーに心が浄化されたかも^^
コメントありがとうございます。やっぱり東大寺凄いですよ!たとえ「今よさがわからなくても将来わかるから」ってことで中高生の修学旅行で連れて行かれたのかもしれないというポジティブシンキングに至ります。
東大寺の大仏さんは752年に造ってから二度の火災に遭い、1576年の火災から1709年の修繕までの120年くらいの間、大仏さんの顔は銅板を貼っていた。
当時の大仏さんは今のより1m大きかったらしい。
東大寺大仏殿の入り口にある賓頭盧尊者は釈迦の弟子として修行を積んだ実在の人物。
坊さんなのに酒を飲んでしまって外に追い出されてしまった。神通力を持っていたとされて悪いところを撫でるとなおしてもらえるらしいですよ(*'▽'*)
賓頭盧尊者もおられましたね。写真を載せ忘れてしまいました。
お坊さんでもお酒飲みたい時くらいありますよねって言えない時代なんでしょうねきっと。