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鎌足神社は生誕地にして白狐のお告げを今に伝える中臣鎌足ゆかりの地

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前回、全力で茨城県の鹿島神宮について紹介させていただきました。

まだまだ深くいろいろ話したいこともあるし、言葉では言い表せない部分の多い魅力的な神社でした。

そして、次の目的地のその手前で立ち寄った神社をご紹介します。

それがこちら。「鎌足神社」です。

日本人ならピンとくる鎌足。そうです。中臣鎌足のことです。

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実は鎌足には実は茨城県の鹿嶋市で生まれた説があります。その鎌足がなぜ奈良県で中大兄皇子と乙巳の変を起こすことになったのか。

それは「白狐のお告げ」としての民話が今も残っているというのです。

今回は鎌足神社とそれにまつわる小話と一緒にご紹介します。

中臣鎌足(なかとみのかまたり)とは!?

614-669 飛鳥(あすか)時代,藤原氏の祖。
推古天皇22年生まれ。中臣弥気(なかとみの-みけ)の子。中大兄(なかのおおえの)皇子(のちの天智(てんじ)天皇)とともに蘇我(そが)氏打倒をはかり,皇極天皇4年(645)蘇我入鹿(いるか)を殺害。大化の新政府で内臣(うちつおみ)となり,中大兄を補佐して律令制への改革をすすめた。臨終に際し大織冠(たいしょっかん)と大臣の位,藤原朝臣の氏姓をあたえられる。天智天皇8年10月16日死去。56歳。初名は鎌子

引用元:コトバンク/藤原鎌足

一番シンプルにまとまっていたので引用させていただきました。

中大兄皇子と偉業を成し遂げたことより「藤原」の姓を与えられその後の藤原氏の活躍があります。

ここからは少し雑学というか都市伝説的な話です。

藤原一族が反映し、藤原氏が多くなり、要職を務める藤原さん。日本各地の重要拠点にも藤原さんが配置されるようになります。

しかし、どれがどの藤原さんかわからなくなるのも必然。そこでこんなことになったそうです。

例えば加賀の国に移り住んだ藤原氏が加藤さん、みたいな。

そんな漢字でいくつか挙げると、周藤さん(周防=山口)、安藤さん(安芸=広島)、後藤さん(備後=広島)、近藤さん(近江=滋賀)、紀藤さん(紀州=和歌山)、伊藤さん(伊勢=三重)、尾藤さん(尾張=愛知)、遠藤さん(遠江=静岡)、須藤さん(那須=栃木)などなど。

また、土地の名前からではなく職業から一字を取ったパターンもあるそうです。

内藤(内舎人)、工藤(木工)、武藤(武者所)、進藤(修理進)、佐藤(左衛門尉)、斎藤(斎宮頭)などなど。

つまり、現存する名字の「藤」がつく方の多くは藤原さんの一族ということなんですかね。

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どれだけ藤原氏が反映したかがわかります。

鎌足神社(かまたりじんじゃ)とは!?

-鎌足神社境内地-
『 鎌足神社境内地は、古来より藤原鎌足の誕生の地とする伝承が残っているところである。 藤原鎌足の生誕地には、当地と奈良県梶原市の二つの説がある。いつころ建てられたのかは不明であるが、江戸時代から明治にかけてまとめられた、常陸国の歴史と地理の大著「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の項に「鎌足社」があり、当地が鎌足の生誕地であるという説が紹介されており、この地域が江戸時代から鎌足ゆかりの地とされていることがうかがえるところである。境内には明治二十五年に建てられた「大織冠藤原公古宅址碑」という石碑もある。』

(案内板より)

ということです。鎌足さん誕生地として伝承が残っているそうです。

いざ、鎌足神社へ

参道を進むとすぐ見えてくる社。

こちらが鎌足神社の拝殿・本殿です。

シンプルな小さい社です。

御祭神は 藤原鎌足、菅原道真、宇賀御魂命です。

ではここであの話をしましょう。

鎌足の生誕地

鹿島神宮の西、鹿嶋市下生地区に鎌足神社があります。
鎌足とは、中大兄皇子らと共に、蘇我氏を滅ぼし、大化改新をなしとげた中臣鎌足で、後に藤原姓を賜り、藤原氏の祖となった人物です。
一般的には、鎌足の生誕地は奈良県といわれていますが、鹿嶋市が生誕地であるという言い伝えも多く残っています。
一説によると、鎌足の父は中臣御食子といい、鹿島神宮に仕える神官でした。
御食子は若くして都に学び、妻を伴って帰郷しました。
そして、鹿島の地で鎌足が生まれました。
ちょうど稲刈りの季節でしたので、その稲刈りには欠かせない大切な道具である鎌にあやかり、「鎌子」と名づけられました。
鎌子が、すくすくと成長し、二歳になった時のことです。
鎌子の母の夢の中に白狐があらわれ、「この子は、将来、国のためにりっぱな仕事をする人です。なおざりにすることなく、しっかりと育てなさい。」といい、鎌を授けていったというのです。
目が覚めた母親は、白狐のお告げを信じ、それには、やはり都で学問をさせてあげなければと考えました。
それからしばらくして、御食子は妻子を伴い、鹿島を後にして再び都へ向かったということです。また、「鎌子」という名は、白狐の授けた鎌からとったともいわれています。
ちなみに、鎌足神社の御神体は、二本の草などを刈る「鎌」で、木の箱に納められ、神社に安置されているそうです。

引用元:茨城の民話WEBアーカイブ/鎌足生誕地

ということです。

鎌子のお母さんが白狐のお告げを信じなかったら大化の改新もなかったかもしれませんし、今の藤が名字に付く人もいなくなるわけでしょう?

その後の日本の姿が大きく変わるイベントとも言えるわけです。

おわりに

民話の話にもありましたが、御神体は、二本の「鎌」だそうです。

さぞ立派な鎌なんでしょうね。見てみたいものです。

歴史好き、神社好きのマニアックなあなたは楽しめましたか?

次回はここから少し離れたあの場所を訪ねます。

ちなみにですが、私がすごく大好きなレキシさんのこの曲もおすすめなので是非合わせてチェックしてみてください!

 

鎌足神社

所在地

〒314-0031 茨城県鹿嶋市大字宮中3354

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