前回に続いて京都巡りをした際のお話し。
友人に言われていたことですが、京都市内は意外と狭い。「チャリンコで巡るのが一番賢い」と言われましたが、まさにその通りでした。
チャリンコで十分移動できますね。
そしてチャリンコで到達したのがこちら。
【上賀茂神社】です。
京都にある世界遺産に認定されている神社としても有名ですね。
参りましょう。
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)とは!?
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。
延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。
通称は上賀茂神社ですが賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)です。
歴史深き神社です。ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されているのも納得です。
そして、↑にも書いてある「斎王」に関してはこちらにも記載しております。
合わせて読みたい 斎宮歴史博物館で斎王を学ぶ!伊勢神宮に仕え、支えた皇女たちの功績
いざ、上賀茂神社へ
敷地がめちゃでかい。さすが上賀茂神社です。
ちょうど私がおとずれた時は結婚式をされているときでした。
いいですね。神前式。
↑「立砂(たてずな)」というものです。
盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので一種の神籬(ひもろぎ、神様が降りられる憑代)である。鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりである。
境内案内板より
盛塩なんかもこんな感じで。繋がってそうですね。
そして吊るされる「願い筒」。可愛いです。
玉橋を超えると見えてくるのがこちら。
朱色が眩しい楼門です。
そして、楼門の中へと進みます。
楼門を超えて見えてくるのが高倉殿。
こちらの中に拝殿、本殿がありますが写真撮影はできないのでここまで。
上賀茂神社のご神紋は二葉葵
上賀茂神社の神紋は双葉葵です。少し可愛らしい感じです。
境内のあちこちに実はひっそりと葵のマークが散りばめられています。
片山御子神社
上賀茂神社第一の摂社です。
片山御子神社は、玉依比売命を祭神として祀っています。玉依比売命は賀茂族で最も権威の高い女性で、本宮御祭神・「賀茂別雷大神」の側に仕えていたそうです。
そのため、現在も本宮恒例の祭祀には、まず片山御子神社に祭を行うこととなっています。
また、縁結びの神として、子授けの神としても有名で、紫式部も何度もお参りに来ているとか。
可愛い八咫烏みくじ
賀茂氏の始祖「賀茂建角身命(かもたけつねのみこと)は初代神武(じんむ)天皇が東征にて大和の国(現在の奈良県)あたりに入られる際、八咫烏の姿となり一行を無事導いたと伝えられている。上賀茂神社の摂社、久我神社に祀られています。
説明書きより
八咫烏といえば日本サッカー協会のシンボルマークにもなっています。実は神話から来てるんです。
↑合わせてご覧ください。八咫烏に関する話があります。
おわりに
大変に広く広大な上賀茂神社。
もっとしっかり見て回ると時間がいくらあっても足りないくらいです。
次回はもっと細かいところまで写真に収めつつ、参拝したいところです。
上賀茂神社
所在地:京都市北区上賀茂本山339
電話:075-781-0011
駐車場:あり
HP:http://www.kamigamojinja.jp/
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