Check Masayanの【厳選記事】を見に行く

戦国屈指の美女として名高い細川ガラシャが過ごした勝竜寺城へ

記事内に広告が含まれています。

こんばんは。歴史大好きmasayan(@masayan382)です。

先日も大好きな京都においてはあまりお城がないんだよね~って話をして幻のお城・伏見城跡にあるキャッスルランド跡地へと赴きました。

しかし、京都にはもう一つ、長岡京に有名なお城があるんです。

それが、今回訪れる「勝竜寺城跡」です。

名前だけでわかった方は戦国時代好きか細川ガラシャファンではないでしょうか?

では、参りましょう。

勝竜寺城とは!?

勝竜寺城

暦応2年(1339)に細川頼春が築城したと伝えられています。
戦国時代末期には淀古城と共に松永久秀、三好三人衆の属城となっていました。

元亀2年(1571年)、細川藤孝が山城西岡一帯を信長より与えられ勝竜寺城主となり、二重の堀を持つ堅固な城に改修します。

そして、一番有名なのが勝竜寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても有名です。天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごされます。

天正10年(1582年)、本能寺の変によって明智光秀の属城となります。同年の山崎の戦いで敗走した光秀は勝竜寺城に帰城するも、羽柴秀吉軍の追撃を受け、勝竜寺城から坂本城へ落ち延びる途中で落命。翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城します。

 

勝竜寺城

平成4年(1992)に公園として復興、市民の憩いの広場として親しまれています。

勝竜寺城

「明智光秀公三女玉お輿入れの城」という冠が堂々と掲げられています。

いざ、勝竜寺城へ

勝竜寺城

中は記念資料館になっています。中には出土品などが展示してあります。

勝竜寺城

もちろんの細川忠興とガラシャ。

勝竜寺城

↑これが勝竜寺城の模型です。戦国時代はこのような形をしていたんですかね。

城内へ

勝竜寺城

城内でひときわ目立っているのが、もちろんこちら。
細川忠興とガラシャ像です。

細川忠興とは!?

勝竜寺城

足利氏の支流・細川氏の出身の戦国武将です。正室は明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)。じつは武将としての武功だけでなく、教養人の一面もある人物なのです。

細川三斎という名で茶人としても有名です。なんといってもあの利休七哲の一人に数えられる人物です。そのため茶道の流派三斎流の開祖としてもその名を轟かしています。

そして、なんといっても「妻・ガラシャ大好き、いや、好きすぎるエピソード」もたくさんお持ちの方です。

ガラシャの父である明智光秀が本能寺の変を起こした際には、ガラシャと離縁せずに幽閉します。そしても四六時中ガラシャと一緒に過ごしていました。

また、大変に美しいと評判のガラシャにちょっと見とれていた庭師を手打ちにしました。

そして、忠興が戦をガラシャと離れているときには「他の人に目移りしないように」と手紙を送ったりするほどでした。

細川ガラシャとは!?

勝竜寺城

戦国武将・明智光秀の三女。諱は「たま」(玉/珠)または玉子(たまこ)。キリスト教の洗礼名が「ガラシャ」。

戦国時代において一、二を争うとまで言われるほどの美女だったそうです。女好きの秀吉も認めたほどとか。

そんなガラシャも↑にあるように父・明智光秀の謀反もあり、幽閉されたりと大変な人生を送ります。

慶長5年(1600年)7月16日(8月24日)、忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣します。西軍の石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうと画策。もちろん、ガラシャはそれを拒絶します。

その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませます。家臣たちがガラシャに全てを伝えると、ガラシャは少し祈った後、屋敷内の侍女・婦人を全員集め、外へ逃がします。

その後、自殺はキリスト教で禁じられているため、家老の小笠原秀清(少斎)がガラシャを介錯し、ガラシャの遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自刃しました。

こういった悲しいエピソードが多くの人の心に残り、戦国時代=戦国武将のイメージが強いなか、戦国時代の女性としてその知名度は高いです。

個人的には大好きな大河ドラマにおいて「軍師官兵衛」の時です。関ケ原の合戦直前の石田三成の妻人質作戦のときに光姫と栄姫が栗山勘助たちが大阪の黒田屋敷からタイミングをみて脱出を図っていた際、「細川屋敷から火が…」というセリフがありました。このときの混乱に乗じて船で脱出、無事に豊前国中津まで船で逃れることに成功しました。

そのタイミングでTwitterを見ていると「細川屋敷に火が…」ってセリフだけで、「ガラシャ様が〜」とか溢れるようにtweetされてました。

そのときね、そのお姿すら登場していないにも関わらずこんなに戦国ファンに愛されてるんだなぁ〜なんて感じたものでした。まぁ、ただの個人的感想なんですけどね。

勝竜寺城

広い城内。そして中にはこんなものも。

勝竜寺城

遠い昔、ガラシャが勝竜寺城内の井戸の地下水も飲んでいただろうと、名称を「ガラシャおもかげの水」として地下水100%の水道水供給施設が設置されています。

あんまし細川ガラシャとは歴史的関係性はなさそうですが、長岡京市ががんばって作ったようです。

勝竜寺城

こうして勝竜寺城を満喫。長岡京市では「ガラシャ祭」も行われています。

LINK 長岡京ガラシャ祭

現在の京都府長岡京市を背負う細川ガラシャ様。

興味が湧いた方は是非、足を運んでいただければと思います。

勝竜寺城

所在地:京都府長岡京市勝竜寺13-1
駐車場:あり
HP:http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html

合わせてチェック!

コメント

タイトルとURLをコピーしました