今回も奈良県の神社を全力レポートです。
初代天皇・神武天皇を導いたとして、そして、現在は日本サッカー協会のシンボルマークとして日本人を導く足が三本ある八咫烏。
和歌山県の熊野本宮大社では御祭神として祀られています。
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そして、奈良県にも八咫烏を祀る神社があります。
その名も【八咫烏神社】です。
では参りましょう。
八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)とは!?
武角身命(建角身命)を祭神とする八咫烏神社は、『続日本紀』に慶運2年(705年)9月、八咫烏の社を大倭国宇太郡に置いて祭らせたことがみえ、これが当社の創祀となっています。江戸時代(文政年間・1818~1830)には、これまで石神殿であったものが春日造りの社殿となりました。その後、期限二千六百年を記念して社域を拡張・整備し、現在に至っています。
『古事記』『日本書紀』によると、神武天皇が熊野から大和へ入ろうとしたときに道案内し、重要な役割をつとめたのが八咫烏(武角身命の化身)です。八咫烏は、中国の陽鳥としての考え方が影響しているようです。
八咫烏伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていたと思われますが、8世紀以降、山城の賀茂県主が有力となってからは、賀茂氏が祖とする武角身命が八咫烏となったようです。
引用元:境内案内板
建角身命は伝承によると、神武天皇が大和へ東遷する折、熊野の山中で停滞する一行を大和へと道案内し、皇軍の勝利に貢献した「八咫烏」の化身と伝えられている。
『続日本紀』に文武天皇の時代、慶雲2年(705年)に八咫烏社を祭るとの記述が見え、これが当社の創祀となっている。
このような御由緒から古来、軍神として崇敬され、南北朝時代には後醍醐天皇の篤い信仰により社は大いに栄えたと伝えられている。引用元:Wikipedia「八咫烏神社」
神話に登場する八咫烏の化身が御祭神である以上、由緒を見ても八咫烏神社は十分に歴史深いところです。
いざ、八咫烏神社へ
綺麗な石鳥居です。木とはまた違う、力強さがありますね。
とてもシンプルな拝殿。
両手が丸いところが少し可愛い狛犬さま。
隙あらば「八咫烏」。
そして、拝殿奥にある本殿。
おぉ~。シンプルな拝殿はうって変わって美しい朱色の本殿。
八咫烏神社は南朝の衰退と度重なる戦禍に見舞われて以後、江戸時代中期まで廃絶寸前の状態となってしまいます。
やがて、江戸時代の文政年間に京都の賀茂御祖神社(下鴨社)の神官の目にとまり、その働きかけにより再興されました。
そのころ現在のように本殿が春日造に作り替えられたとされています。
なんとも美しい春日造り。
わざわざ都の賀茂御祖神社が目をかけるほどの神社だったということでしょう。
そして、冒頭でも触れたように現在では日本サッカー協会のシンボルマーク「八咫烏」。
これからもサッカー日本代表チームが世界で活躍できるよう、導いてくれることを祈るばかりです。
八咫烏神社
所在地:奈良県宇陀市榛原高塚42
電話:0745-82-2046
HP:http://www.city.uda.nara.jp/sin-kankou/guide/shrine_temple/s07.html
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