前回、岐阜県にある金華山に登り、「岐阜城」へ行ってきました。
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今回はその帰り道である場所に立ち寄ります。
あなたは「木下藤吉郎」って人物をご存知ですか?
そうです、織田信長亡き後、天下をとったのがこの木下藤吉郎改め、「豊臣秀吉」です。
この金華山には秀吉にまつわる歴史的スポットが隠れているのです。
これは数年前の京都の時代祭の際の秀吉軍の行進の写真です。
この方が持っている金色の瓢箪(ひょうたん)。これが豊臣秀吉の馬印になります。
なぜ秀吉の馬印が瓢箪になったのか…それが織田信長とのエピソードになります。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)と瓢箪(ひょうたん)
そのとき、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、城の背後からの奇襲を織田信長に進言。実行隊長となります。
木下藤吉郎は稲葉山城の侵入に成功。稲葉山城に火を放ちます。
その際、信長本隊に送った合図が 槍の先に付けた瓢箪だったという話です。
そして木下藤吉郎の活躍もあり、稲葉山城は落城。(1567年)
功あった木下藤吉郎に、織田信長が 瓢箪を馬印にすることを許可しました。
これが木下藤吉郎改め、豊臣秀吉の馬印が瓢箪となり、高々と掲げられるようになりました。
そして、快進撃の止まらぬ秀吉は 戦に勝つ度に馬印の瓢箪を増やしていきました。
その結果、秀吉の馬印のことを、千成瓢箪と言います。
秀吉自身も瓢箪好きだったそうで、瓢箪収集もしていたとか。
太閤時代に、大坂城で「とある大名から大きな瓢箪を謙譲されて喜び、御伽衆の曽呂利新左衛門を呼んで見せびらかした」と言うエピソードもあるそうです。
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秀吉の馬印・千成びょうたん発祥の地へ
「岐阜城」の帰り道、金華山にそれがあります。
これでもかと大きい看板があります。
案内されるがまま山道を行きます。
木下藤吉郎と千成瓢箪
永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か七名を従えて、岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている。この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという。以来、千成瓢箪発祥の地とされている。
引用元:掲示板
石段を上って行くと…。
勝鬨をあげたのは天狗岩といわれる場所で、現在は刀利天狗の祠があります。
ぱっと見てしまうとなんともない小さな祠で済んでしまうのですが、上記にもあったようなエピソードとその後の秀吉のことを考え想像するとやはりターニングポイントになった場所なんだなと感慨深いです。
う~感動!しんどい山道を登ってきたかいがあったというものです。
ということで、秀吉ファンのあなた!必見ですよ!
金華山
所在地:岐阜県岐阜市18
コメント
Masayanさん、こんにちは。鹿児島の次は岐阜。いつもながら精力的に投稿されていて頭がさがります。ここ、何日間か体調を崩していてBlogを読めないでいました。今日は「ひょうたん」ですね。金華山は一度登りたいと思っていたところです。戦国時代では、信長+藤吉郎あたりが講談的に一番面白いですよね。ちなみに、私のメアドが「terutora」なのは謙信ファンだからです。Masayanさんは『平清盛』が好きだったとか。松山くんが可哀想でした。
Akitsu Yoshiharuさん。こんにちは!精力的かどうかはわかりませんが、ブログを書くのが好きなもので(^o^)金華山もなかなか素敵なところです。機会があれば是非!
謙信ファンやったんですね!名をはせた武将さんはみんな好きです俺!「軍師官兵衛」のときも秀吉が成り上がるまでが一番面白かったですねぇ。おねの「天下人は人を狂わせるのか~」的なセリフがあったように記憶してますが、平清盛もそうでしたし、「驕る平家は久しからず」と言うように謙虚な気持ちを忘れてはいけませんね。
松山さんは素敵な作品を残してくれたので俺は大好きです!