地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩2分、JR大阪環状線「玉造駅」より徒歩5分というとてもアクセスの良い場所へ移動します。
ここで有名な神社へ向かいました。
今年の大河ドラマで主役を張る「真田幸村ゆかりの地」として、有名な場所です。
こちらが、かの有名な「三光神社(さんこうじんじゃ)」です。
なんとこちらには大阪の陣で真田幸村が造った「真田の抜け穴」が今も残っているというのです。
戦国ファン、真田ファンとしてはどうしてもこの目で見てみたいじゃないですか!
ということで、さっそく三光神社へ参ります。
三光神社(さんこうじんじゃ)とは!?
反正天皇の時代の創建と伝えられる。創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝える。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。
中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになる。明治41年(1908年)、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいう。引用元:Wikipedia「三光神社」
御祭神:「天照大神」・「月読尊」・「素戔嗚尊」を祀ります。
いざ、三光神社へ
さ、鳥居をくぐると既に「赤い幟に六文銭」が見えます。
↑末社です。稲荷社、武内宿祢社、野見宿祢社です。
三光神社本殿・拝殿へ
そして拝殿・本殿へ。
こちらが拝殿。
「天照大神」・「月読尊」・「素戔嗚尊」です。
大阪七福神(浪速七福神)の一つとなっているそうです。
本来であればここで神社として楽しむところですが…。
やはりここは真田幸村に思いをはせたいところ。
真田幸村と三光神社の関係は?
それはもはや一目瞭然ってやつでした!
「真田幸村公之像」
なんとも凛々しいお姿です!
黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像とされています。
そもそも、なぜここに真田幸村の像があるのか?
それこそがこの三光神社の一番のウリかもしれません。
その理由も一目瞭然!
【真田の抜け穴跡】があるからです!!
真田の抜け穴とは!?
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったという。
引用元:Wikipedia「三光神社」
ここから大阪城までけっこう距離があると思いますけど。
かつて、三光神社以外にも、7つか8つ抜け穴があったようです。50年ほど前、地元玉造では、抜け穴が互いに地下でつながっていて、幸村は穴から穴へと顔を出し、茶臼山にいたと思えば真田山にと神出鬼没の活躍ぶりで、敵をかく乱したと言われていました。今では、こんな話、聞きませんが。
「千日前通に行く手前の産湯(うぶゆ)稲荷さんにも抜け穴があったらしい。道を作るのにとられてしもうて。結局残ったのはうちだけ」と小田さん。
引用元:玉造を応援するサイト
「ここが真田幸村が通った大坂城との抜け穴なのかー!」と興奮度MAX!!
扉が大変に邪魔です。ですが、無ければ無いでいろいろ大変そうですもんね。こういうのって。
格子の間から撮影。ちゃんと石積みされてますね。
「真田の抜け穴」は「徳川勢が掘った説」
この三光神社は真田丸の外側だったとされています。
ですが実際のところは、冬の陣の際に籠城を決め込んだ大坂城・豊臣勢に業を煮やした徳川家康が掘らせたものとする「徳川勢が掘った」説もあるそうです。
真実は分かりかねます。
しかし、「真田の抜け穴」の方が歴史ロマンがありますよね?
個人的にはそうであって欲しいかな。
おわりに
この三光神社の「真田の抜け穴」が気になってしょうがないあなたに朗報です!!
三光神社「真田まつり」の日にはなんと【1年に1度の「真田の抜け穴」開放の日】となっています。
これは是非チェックしたいところですね。中がどうなっているの気になります。
かの有名な戦国武将・「真田幸村」ゆかりの地として有名な三光神社。
歴史ロマンを楽しみながら参拝されてみてはいかがでしょうか?
真田ファンの方なら特に楽しめるはずです!
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三光神社
所在地:大阪市天王寺区玉造本町14-90
電話:06-6761-0372
HP:http://www.eonet.ne.jp/~sankou/
駐車場: 20台 無料
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