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平清盛が行った日宋貿易の要!出土した石椋から大和田泊を思ふ

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こんばんは。歴史上の人物で「平清盛」さんが大好きなmasayan(@masayan382)です。

今回も清盛さんゆかりの地を巡ります。

私は歴史上の人物の中で平清盛さんが大好きです。

特に大河ドラマ「平清盛」は興奮してかじりついて見ていました。

「清盛さんが凄い」って思ったのはその功績。

宋との貿易を活発とし、日本に宋銭を導入されました。

つまり、現在つかっている貨幣です。これが導入されるまでは物々交換だったわけですからすごく便利なシステムが導入されました。

宋との交易をさらに発展させるべく取り組んだのが都を京都から神戸へ移す遷都なのです。

現在の神戸市に清盛さんが造ろうとした新たな都。それが「福原京」

そして福原京を成り立たせるために清盛さんが造ったのが港。

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今回訪れるのは「大和田泊(おおわだのとまり)」なのです。

大和田泊(おおわだのとまり)とは!?

大輪田泊(おおわだのとまり)は、兵庫県神戸市兵庫区に所在していた港で、現在の神戸港西側の一部に相当する。12世紀後半の平清盛による大修築が有名。輪田泊(わだのとまり)ともいい、古くは務古水門(むこのみなと)とも称した。平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた。中世にあっては兵庫湊(ひょうご(の)みなと)と呼ばれた。

引用元:Wikipedia「大和田泊」

平清盛さんがが夢見た理想郷の財政基盤となったのが日宋貿易。その中心となったのが大輪田泊なのです。

「泊(とまり)」は古語で船を停泊させる水域のことを意味しています。湊、港は類義語です。

ちなみにですが「津」は主に渡河船の船着場を指すそうです。

清盛さんは奈良時代から栄えていた大輪田泊を改築し、宗の貿易船が直接港に入れるよう整え、貿易を本格的に行いました。

当時は九州の大宰府で行っていた日宋貿易を都の近く、福原で行う。すごい発想ですね。

船が大和田泊まで通れるよう、安芸の音戸瀬戸を開削するなど瀬戸内航路を確保します。

大和田泊は南東風による風浪が港湾施設を破壊することが多かったそうで、港の前面に人工の島を築いて安全な碇泊地を設けようと、私財を投じて修築工事に着手。

しかし、防風にて工事は難航。清盛さんは諸人に「経文を書かせた石」を沈めて基礎を築きました。そのため、その人工島を「経が島」と称したそうです。

大和田泊が完成し、宋の船が停泊すると、後白河法皇は清盛さんの招きで福原の清盛別荘をしばしば訪れ、宋人に引見しています。

こうして宋との間にに正式に国交が開かれて日宋貿易が拡大したのでした。

古代大和田泊の石椋

現在はその大和田泊に関するものは残っていませんが、このようなものが出土されました。

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1952年(昭和27年)に新川運河の拡張工事の際に松丸太の棒杭とともに二十数個の巨石が出土しました。

この石椋とは、石を積み上げた防波堤や突堤など、港湾施設の基礎工事に使用したと推定されています。

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平安時代の当時、このような巨大な石を使って港の工事をされていたんですかねぇ。

「巨石を積んで、波風を避けて、宋の船を呼んで、貿易して豊かになろう。」重機のない時代によくそんなことを考えて、実行したなと改めて思うのです。

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当時の大和田泊もさぞかしにぎわっていたのでしょうね。

 

大輪田泊

所在地: 兵庫県神戸市兵庫区本町1丁目-1-1
駐車場:なし

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