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勝手神社が「五節舞」の起源!天女と静御前が舞った伝説の地

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今回も続く、奈良県の吉野シリーズ。

前回の吉水神社から続いて向かったのがこちら!

勝手神社
勝手神社です。

勝手神社は吉野八社明神の1つで、金峯山の山の入口に在り「山口神社」とも呼ばれるそうです。

勝手神社とは!?

 吉野大峰山の鎮守社である吉野八社明神の一でかつては「勝手明神」と呼ばれた。吉野川水源に当たる青根ヶ峰は古くから水神として崇敬を受け、山頂付近に金峯神社(奥千本)・山腹に吉野水分神社(上千本)・山麓に勝手神社(中千本)が建てられた。勝手は「入り口・下手」を意味するともいい、その字面から勝負事や戦の神としても信仰された。神仏習合時代には勝手大明神の本地は毘沙門天と言われ、さらなる武門の尊崇を受けることとなった。また、吉野山の入り口に位置することから山口神社ともいわれた。
創建年代は不詳だが、「日雄寺継統記」では孝安天皇6年(紀元前386年)とする。大海人皇子が社殿で琴を奏でたところ、天女が舞い降り5度袖を振りつつ舞ったと伝えられ、背後の山は「袖振山」と称する。また、この故事が宮中の「五節舞」の起源という。
境内には源義経の妻女、静御前が追っ手に捕らわれた際、舞を見せたと伝わる舞塚が残る。 流造檜皮葺、桁行八間・梁間二間の本殿は県の有形文化財であったが、2001年に不審火で焼失したため、ご神体は向かいの吉水神社に遷座しており、本殿再建のための寄付金が募られている。

引用元:Wikipedia「勝手神社」

とのことです。現在社殿を見ることはできないのですが残念極まりないです。

いざ、勝手神社(かってじんじゃ)へ

勝手神社

吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入 口にあるので山口神社ともいいます。
文治元年(一一八五)の暮れ、源義経と雪の吉 野山で涙ながらに別れた静御前は、従者の雑 色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っていると ころを追手に捕えられて、この社殿の前で雅 た姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを 感嘆させたとう話が伝えられています。
この神社の祭神は、大山祇神、木花咲耶姫命 ほか三神で、社殿は豊富秀頼が慶長九年(一 六〇四)に改修したのが、正保元年(一六四四)十 二月に焼亡したので、翌二年に再建され、さ らに明和四年(一七六七)にまたも焼失しました 現在の建物はこの後の再建になるものです。
社殿の後の山を袖振山といって、天智天皇 の十年(六七二)大友皇子に対抗して、吉野(今の宮滝か) に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神 前で琴をかなでていると、天女が後ろの山の 上から袖をひるがえして舞いながら現れ、吉 兆を示しました。この故事が五節の舞の起り だといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神 様とされて、かつては猿楽や能が盛んに奉納 されました。
引用元:境内案内板

 

勝手神社

再建復興のお願い書きがあります。

吉野は歴史深いところでもあり、伝説もあり、世界遺産もあるところですから再建を心から願いたいところです。

勝手神社

勝手神社のご神体は吉水神社本殿に祀られています。

吉野水神社本殿と同じく、桃山様式の三間社流れ造り、檜皮ぶきの社殿二棟を箱棟でつなぐ連棟式の珍しい建築物で、県指定の文化財だったそうです。社殿がないのは非常に残念です。
 
 

 

勝手神社

所在地:吉野郡吉野町大字吉野山2354
電話:07463-2-3024(吉水神社)

 

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