こちらの神社もかねてより、私が埼玉に住んでいる頃から行きたいと願っていた場所です。
みなさん「天孫降臨」って言葉をご存じでしょうか?
おそらく普段、耳にすることもないと思います。
「古事記・日本書紀」に記されている言葉で、読んで字のごとく、「天の孫が降臨した」という意味です。
即ち、「天の孫」、「天照大神の孫・ニニギ」が地上に降り立ったということです。その後、大国主に地上を譲ってもらう「国譲り」という神話の話が有名かと思います。
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この記紀(古事記・日本書紀)における上記の話から物語は進み、初代天皇・神武天皇が東の地を治めに行く「神武東征」でのお話が関わってきます。
「神武天皇(イワレビコ)は塩土老翁から、東方に美しい土地があり、天磐船で先に降りたものがいると聞く。そして彼の地へ赴いて都を造ろうと、一族を引き連れ南九州から瀬戸内海を経て東へ向かい、難波碕(現代の大阪)へたどり着く。その後河内国草香邑から生駒山を目指す。そこに土着の長髄彦(ナガスネヒコ)が現れたため戦うが苦戦する。神武は「日(東)に向って敵を討つのは天の道に反す」として、熊野(紀伊半島南端部)へ迂回し北上することにした。
菟田(奈良)に到達し高倉山に登ってあたりを見渡すと、八十梟帥が軍陣を構えているのが見えた。その晩神武の夢に天神が現れ「天神地祇を敬い祀れ」と告げる。その通りにすると敵陣を退治でき、続いて長髄彦を攻める。
すると長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽羽矢と歩靫を見せる。すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。引用元:Wikipedia「ニギハヤヒ」
なんと、ニニギとは別に地上に降り立っていた【饒速日命(ニギハヤヒ)】という神様ががいたそうです。
しかも、あの天皇家の祖先にあたる「天照大神のお孫さん」なのだとか…。
未だに謎めく存在です。一部では宇宙人なのでは?なんて話もあるとかないとか…。
この謎めく「ニギハヤヒ」が今回の主役になります。
参りましょう。
饒速日命(ニギハヤヒ)とは!?
『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売、日本書紀では三炊屋媛という)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。
『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。
『先代旧事本紀』では、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとしている。引用元:Wikipedia「ニギハヤヒ」
どうやら天照大神の子、オシホミミの子であり、ニニギの兄のようです。
ただし、『先代旧事本紀』においてはです。
他の書物等では記載ままちまちのようなので断定は難しそうですね。
そして、個人的には「ニギハヤヒの存在を断定したい」という意図はなく、そういう『謎めく未だに解明できないような物事を体感できるその場所で歴史ロマンに触れていたい』という衝動を優先しますのであしからず。
え?そんな場所があるんかって?
実は…あるんです!
それがこちら。今回訪れる【磐船神社(いわふねじんじゃ)】です。
磐船神社(いわふねじんじゃ)とは!?
交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。
神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承がある。 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。 中世以降は、山岳信仰や住吉信仰の影響を受け、現在も境内には神仏習合の影響が色濃く残されている。引用元:Wikipedia「磐船神社」
冒頭でも触れたニギハヤヒ。
彼が地上に降り立つ際に乗ってきたとされる「天の岩船」が御神体というからまた凄い。
これは楽しみです。
いざ、磐船神社へ
石鳥居がすごい風格を感じさせます。
鳥居をくぐったその瞬間から岩がこれでもかと目につきます。
しかも苔がこれでもかと言うくらいに美しい。
苔好きにはたまらん緑です。
そして岩の中に浮き立つ不動明王様と苔のコラボレーション。合わせ技一本です。
↑手水舎
「無断拝観禁止」の看板が目立ちます。
子に足を乗せる吽型の狛犬さん。毬に足を乗せる阿形の狛犬さん。
くっきりと凛々しいタイプの狛犬さんです。
そして、拝殿へ。
そして拝殿とその後ろに存在する巨大な磐船。
…というか「天の磐船」が宇宙船や飛行機ならまだわかるけども。
これだったら降りてきたというか隕石のように地上に降ってきたとか激突してきたって表現の方が合うかもしれません。
御祭神名:天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(饒速日命)
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
十種神寶(とくさのかんだから)は饒速日命が降臨に際して天照大御神より授かったもので、羸都鏡(おきつかがみ)・邊都鏡(へつかがみ)・八握劔(やつかのつるぎ)・生玉(いくたま)・死反玉(まかるがえしのたま)・足玉(たるたま)・道反玉(ちがえしのたま)・蛇比禮(おろちのひれ)・蜂比禮(はちのひれ)・品物比禮(くさぐさもののひれ)の十種類からなる神宝です。この神宝を用いて鎮魂祭(みたましずめのまつり)をすることにより、病み患いの類、痛み苦しみは全て直り、死んだ人も甦ると言い伝えられています。このことにより、饒速日命は御祈祷の祖とされ、特に病気平癒に霊験あらたかな神様として今日でも崇敬されています。
引用元:Gosaijin
ご神宝…気になります。
そして、実はここから一番の見どころだったりもするのですが…。
悲報。それは悲しいお知らせ。
そうなんです。実は『岩窟』というちょっとしたアドベンチャーを楽しめるという話も聞いていたのでそのつもりで訪れたのです。
しかし…この張り紙が…。嘘であって欲しい…。
だめもとで入り口まで突進!
この岩が重なり合うような中に扉と階段が…。
ぐおおおおおお。まじか~~~。
なんとも悔しい。ちくしょう!!埼玉からコレを楽しみしてたんやぞ!
怒りと悲しみで手振れしました。すみません。
合わせて、取り乱してすみません。
しょうがないので取れる範囲で写真。
この先に私の目指していたものが…。切ない…。
こんな外観の写真だけでは磐船神社、ニギハヤヒの凄さ、ロマンチックさが伝わらないかもしれないので個人的に大ファンである「五十嵐麻理 」先生のブログ【日本珍スポット100景】よりリンクを貼らせていただきます。
参考インディー・ジョーンズ的岩窟めぐり「磐船神社」【大阪】 | 日本珍スポット100景
↑是非ご参照ください。
おわりに
このタイミングを逃したことは非常に痛手です。
なお、2014年09月20日に起こった転落死事故により閉鎖されていまましたが現在は条件つきで再開されているそうです。詳細確認してください。
ちなみに、私が訪れた2014年10月は無理だったという話です。無念。
まぁ、それは致し方が無いということで。
未だに「ニギハヤヒとは何者なのか」という結論の出ない話で盛り上がれる古代史ファン必見!磐船神社に是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
岩窟へ入られる際は動きやすい格好で挑んでください!
磐船神社
所在地:大阪府交野市私市9丁目19−1
電話:072-891-2125
駐車場:あり
HP:http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/index-j.html
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