沼田城の帰り道、せっかくなので寄り道をしました。
そのスポットは石田三成が忍城を落とすべく周りを堤で囲み、水攻めを行った場所なのです。
その堤が一部残っており、石田堤として保存されているとのこと。
それがこちら。【石田堤史跡公園】です。
石田堤(いしだつつみ)とは!?
天正18年(1590年)の関東平定において、忍城城主・成田氏長は小田原城に籠城し、残った士卒・兵・地元農民ら3000が忍城に立て籠った。攻城の総大将に任じられた石田三成は力攻めを行ったが、周囲は沼や深田という足場の悪さにも守られ、城攻めは遅々として進まなかった。そのため、三成は忍城を望むことができる丸墓山(現・丸墓山古墳)の頂きに本陣を構え、水攻めを発案し、忍城周囲に総延長28kmにも及ぶ堤を築いた。
総延長28kmに及ぶ堤をわずか1週間で作り上げたと言われるが、実際には自然堤防や微高地を巧みに繋ぎ合わせたものと思われる。堤が完成した後、利根川・荒川の水を引き入れたが、城にはあまり水が溜まらなかった。
その後、増水したため、堤が決壊して石田方に多数の溺死者が出て、水攻めは失敗に終わった。引用元:Wikipedia「石田堤」
大河ドラマ「真田丸」においても石田三成さんが水攻めをしてもなかなか思うように囲めなかったシーンが描かれています。
忍城の水攻めが描かれている「のぼうの城」でも注目を集めていました。
いざ、石田堤史跡公園(いしだつつみしせきこうえん)へ
新幹線の高架下挟んで公園があります。
米俵も再現されています。
堤が決壊しているイラスト。
↑水攻め図。
堤を築いても決壊し水攻めが完成できなかったそうです。
このあたりが黒田官兵衛との違いなんですかね。
三成さん残念です。
実際の石田堤をチェック!
↑こちらが史跡公園図。左右に分かれています。
↑これが実際の堤。
これを当時の人たちは一所懸命に作ったんですねぇ。
すごいなぁ、戦国って。
↑こちらが断面図。中も見学できるような施設となっています。
…が、本日は中には入れなかったので外観のみ。
新幹線の高架を超えて公園の反対側へ移動。
この辺はもう普通の公園ですね。
既に夕刻となってしまい、忍城には足を運べませんでした。
忍城はまたの機会ですね。
石田堤史跡公園
所在地: 埼玉県鴻巣市袋字台326−1
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