さて、ここまで実は1日で巡ってきたところです。
「岐阜城」スタートで長浜城まで駆け抜けました。もう夕方です。
![masayan](https://masayanei.com/wp-content/uploads/2017/01/masayan-compressor-e1504366396132.png)
このまま家に帰るのもなぁ~。
いや、まだ行けるかもしれない。閉館時間も迫っておりましたが行ってみようと思い車を走らせて馳せ参じたのがこちら!
【彦根城】です。
ちなみに、近世の城で天守が残っているのは、「弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知」の12城となります。
他は再建とかになりますかね。
その中でも松本、犬山、彦根、松江、姫路、の5城の天守は国宝です。
はい。その国の宝とも言える彦根城に滑り込みで突入致します!
彦根城(ひこねじょう)とは!?
江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。
明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。天守と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだという。
天守が国宝指定された四城の一つに数えられる。姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたが、近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上推薦は見送られている。引用元:Wikipedia「彦根城」
とのことです。国宝ではあるが世界遺産ではないと。
![masayan](https://masayanei.com/wp-content/uploads/2017/01/masayan-compressor-e1504366396132.png)
もう勢いで世界遺産にしてしまえばいいものを…。
まぁ、大人の事情というのもあるんでしょうね。きっと。
いざ、彦根城へ
駐車場に車を停め、ダッシュで向かいます。なんせ時間がない(>_<)
そんな時にも目に止まったのがこの郵便ポスト。
ポストの上に彦根城!なんと素敵なポストなんでしょう!
郵便ポストですら被写体となり写真を撮る間も時が流れます。
ようやく橋まで到着。到着時刻は15:30でした。
![masayan](https://masayanei.com/wp-content/uploads/2017/01/masayan-compressor-e1504366396132.png)
あぁ、ひこにゃんの出番があったんや。というか間に合わんかったなぁ。
ちと無念です。ひこにゃんはまたの機会に…。
そして橋の上から眺めるのは立派な水堀と石垣。美しい!
パネルでしたがひこにゃんが出迎えてくれました。
さっすが山城。登ります。岐阜城もそうでしたが、やっぱ城って登りますね(笑)
ようやく見えてきました彦根城!
廊下橋!
時代劇にも撮影で使われることもあるそうです。
そして橋の下で石垣が黄色い部分と灰色になっている部分があるのがわかりますか?
石垣は、廊下橋を境にして東側(向かって右手)と西側(左手)では石垣の積み方が異なります。
東側の積み方は、自然石をそのまま用いる「野面積み」で、西側は石と石の接合面(合端)を加工して積み上げる「打ち込みハギ」といわれる積み方がされています。
野面積みは、彦根城が天下普請で築城された際、越前衆が積んだという伝承があり、打ち込みハギは嘉永7年(1854)の修理の際に積み直しされたものです。
引用元:彦根城の見所ガイド~石垣/近江の城郭
といった感じで石垣で時代がわかると言われる由縁であったりもします。
ちょうど橋の下の黄色っぽい部分が「野面積み」。
外側の灰色の形が整っている部分が「打ち込みハギ」という部分になります。
そして見えているのが天秤櫓!重要文化財です!
中に入るとそれはそれは綺麗に整えられてる石垣にうっとり。
この変の美的センスは外国に負けてないと個人的には思います。
太鼓門櫓!こちらも重要文化財です!
本丸にそびえる彦根城天守を目の前にした最後の門となります。
彦根城へ突入!
そして、念願の国宝・彦根城へ突入!
こちらが彦根城の鉄砲狭間と矢狭間。
この小さなところから矢を放ったり、鉄砲を差し込んで撃っていたわけです。
城は観賞用ではなく、防御の要である由縁がここで垣間見えます。
さすが国宝。造りがやや小さめ?当時のサイズ?
ということもあり階段では頭をぶつけそうな危険性があります。
背の高い人は要注意です。
やっとの思いで天守へ到着。
天守からの眺め。もはや美しいという言葉すら生ぬるいです。
城を出て城を一周。
何回も触れるのもアレなのですが本当に石垣が綺麗です。
ビシバシ写真を撮っていたらいい時間となったので帰路へ。
城内の売店内に旅猿の際の写真とサインが!
![masayan](https://masayanei.com/wp-content/uploads/2017/01/masayan-compressor-e1504366396132.png)
俺、99の岡村さん大好きなんです。感激!
旅猿もいい番組ですよね。旅が好きな人は好きなはず!
合わせて読みたい 旅の計画はここで決まり!今は無き旅猿の聖地・喫茶ぶらじる
駐車場にある多門櫓
来たときは急いでいたため無視してしまった駐車場にある多門櫓。
まだ時間があるため最後に寄り道。
これまた長い櫓になっておりました。
ここ。見事なくらいに虎口になっているでしょう?
敵が城を攻めてきた際に真っ直ぐ城に向かえないよう曲がる造りになっております。
このうねっている時に櫓から銃を撃つわけです。
城って本当によくできてます。造形美だけではなく機能美も国宝です!
滑り込みでなんとか入れた彦根城。満足しましたが、まだ時間が足りない!
次回はもっとゆっくり見てまわりたいものです。
そして、ひこにゃんに会えなかったのは非常に悔やまれます。
![masayan](https://masayanei.com/wp-content/uploads/2017/01/masayan-compressor-e1504366396132.png)
ちなみに、みなさん。なぜ彦根城にひこにゃんという猫(ゆるキャラ)がいるか知ってますか?
ひこにゃんの由来とは!?
むかしむかし、江戸郊外武蔵野国世田谷村の豪徳寺で、彦根藩2代目藩主の井伊直孝が、にわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていたそうな。
すると井伊直孝に向かって「おいでおいで」と手招きをする白ネコが現れた。不思議に思った井伊直孝がその白ネコの許へ近寄ったその瞬間、大木に激しい落雷が。
井伊直孝はこの白ネコに大変感謝し、後に豪徳寺を井伊氏の菩提寺としたという。この白ネコの伝説から生まれたのが、現在のひこにゃんというわけだ。
ちなみに、ひこにゃんの赤い兜は、井伊家由来の赤備えの兜。井伊の赤備えは、小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、井伊の赤鬼と呼ばれ恐れられたそうだ。
といった話から井伊の赤備え+白猫。この融合体が現在のひこにゃんなのです。
ゆるキャラ戦国時代のこの世をなんとか戦い抜いていただきたいものです。
masayanは彦根城とひこにゃんを応援しております!
合わせて読みたい その展望はまさに国の宝!国宝五城の一つ、島根県の松江城
彦根城
所在地:滋賀県彦根市金亀町1−1
電話:0749-22-2742
駐車場:あり
HP:http://www.city.hikone.shiga.jp/0000001036.html
コメント