大阪シリーズ続きます!
大阪は天王寺公園へお出かけ。
そこから目指すのは「茶臼山古墳」です。
感のいい方は茶臼山と聞いてピンとくるはず。そうです。
大阪冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が布陣した歴史的場所になります。
参りましょう。
茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)とは!?
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
明治以降は住友家邸宅の敷地の一部となっていたが、1925年(大正14年)に住友家から邸宅敷地(現・大阪市立美術館)、慶沢園とともに大阪市に寄付され天王寺公園の一部となった。河底池は1928年(昭和3年)に公園に編入されている。引用元:Wikipedia「茶臼山古墳」
なんと、現在は公園になっているとのことです。
いざ、茶臼山へ
てっきり山なのかと思っていたら古墳だったんですね。それは知らなかった。
天王寺公園を抜けて向かいます。
見えてきました!
導かれるまま一本道!
茶臼山に到着
おぉ~これが茶臼山。
わかりやす~く説明版があります。
「茶臼山」に布陣する豊臣方・真田幸村軍と、それに対峙する総兵力3倍ほどの徳川方の布陣の様子が描かれています。
私が訪ねたときは大坂の陣400年記念の年でした。
慶長二十年五月七日(1615年5月7日)、紅の旗・吹貫であたかもつつじの花盛りのように群れなびかせた真田の赤揃が陣を構える茶臼山の真田幸村隊三千五百は、この日の正午過ぎ、徳川方最強の松平忠直率いる越前勢一万五千と激突し、真田の赤揃えと松平家の家紋のツマ黒が交互に入り乱れる大坂夏の陣最大の激戦が茶臼山周辺で繰り広げられた。(大坂夏の陣 天王寺口の戦い)
数では劣る真田隊であったが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り、徳川家康の本陣目掛けて一文字に三度の攻撃を仕掛け、あとわずかで家康の首に手が届くところまで攻めるも、数に優る越前勢が混乱から立ち直り反撃を開始、しばらく茶臼山に拠って抵抗を続けた真田隊も越前勢の猛攻によって奮戦むなしく壊滅し、真田幸村も激戦を戦い抜いて疲弊し茶臼山の北にある安居天神で休息しているところを越前兵により討ち取られる。
―真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由―「薩摩旧記」
今も語り継がれる古戦場跡です。
茶臼山のてっぺんを目指します。
平成の世ではかわいい猫さんが布陣されていました。
てっぺんに来てみたものの、まぁ、特にこれといったものはないですね。
まぁ、そりゃそうなんでしょうけど。
おわりに
一番はここがあの有名な大阪の陣における重要な場所だということ。
ここで歴史が変わるような戦が行われたんだなぁ~と思うと感慨深いです。
大阪に行く機会があれば是非訪れたいと思っていた場所でした。
茶臼山古墳
所在地:大阪市天王寺区茶臼山町1-108(天王寺公園内)
HP:http://www.osaka-info.jp/jp/facilities/cat7/2230.html
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