今回向かうのは、かの有名な比叡山・延暦寺です。
日本史好きの方は聞いたことのある名だと思います。
平安時代で言えば、白河法皇や平清盛にも強く絡んできますし、戦国時代で言えば天下人・織田信長に焼き討ちされるなど歴史秘話もたっぷりの場所になります。
比叡山延暦寺とは!?
延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。比叡山、または叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 – 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。平成6年(1994)には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。
最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。
「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称である。
日本仏教の礎(佼成出版社)によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千を越える寺社で構成されていたと記されている。
延暦7年(788年)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(823年)のことであった。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。1994年に、ユネスコの世界遺産に古都京都の文化財として登録されている。
また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。引用元:Wikipedia「延暦寺」
恥ずかしながら、ユネスコ世界遺産に登録されているとは知りませんでした。
これだけ歴史が積み重なり、現在に至るまであるわけですからそれだけ素晴らしいのでしょう。
なにより私でも知っている名の名僧も排出されています。これは期待しちゃいますね。
いざ、横川エリアへ
駐車場に車を置いたのですがかなりの山奥。
おかげで緑が大変に美しいです。
龍ヶ池弁財天
延暦寺古書に曰(いわく) 昔この池に大蛇が住みつき村人達に害を与えていた。 元三大師これを聞き大蛇に向い “汝―法力を持っていると聞くが本当か” とおたずねになった。 大蛇は、威猛々に “本当ダ私に出来ないことは何もない” と答えました。 大師は “ナラバ大きい姿になってみよ” と申されるとお安いご用とばかり数十倍の大きさに変身しました。 大師は再び “デワ小さくなり私の手の平に乗れるか” とのお言葉に “承知” とばかり小さくなり手の平の中に入りました。 大師がすぐさま観音様の念力により閉じ込めてしまわれました。 そして弁天様をお迎えし小さくなった大蛇をお渡しになり弁天様のお侍いとしてお側に仕えさせて頂きたいとお願いされました。 大蛇も大師に諭され前非を悔い今度は自分の持っている法力を善業に向け横川の地を訪れる人の道中の安全と心願の成就の助けをしようと大師に誓いました。 以後訪れる人の幸せを願い助力を盡(つ)くしております。 別名 “雨乞いの弁天様” としても有名であります。 大変法力のある弁天様と龍神様であります。 ご信心下さい。
すごい伝説があるものです。今もこうしてその伝説が語り継がれおり、祭られているのですね。
そして、少し歩くと見えてくるのがこちら!
横川中堂へ到着
なんと美しい朱色の建造物!
こちらが【横川中堂】です。
横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。
お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
現在の建物は昭和46年に再興された建物です。
この比叡山の横川エリアは最澄上人の教えに従って慈覚大師円仁が開いたといわれている場所で、円仁が嘉祥元年(848年)に観音堂として創建したのが「横川中堂」と伝えられています。
そしてこの横川中堂、冒頭の方でもふれた「織田信長」の焼き討ちによって焼失しております。
しかし、「豊臣秀頼」・「淀殿」により再興。ところが1942年に落雷によって再び焼失し、1971年に「伝教大師最澄」の入滅1500年遠忌の記念として復元されたそうです。なんとも波乱万丈です。
光輝く金色の 「仏国土観音様」
眼が眩むほどに眩しいです。その光たるや後光が射すが如し。
度重なる火災の難を逃れてきた、「慈覚大師円仁」作で重要文化財に指定されている「木造聖観世音菩薩像」
そして、その周囲を小さな金色の観音様たちが囲っておられます。
この光景は圧巻の一言。凄すぎです。
さすがは歴史深き比叡山延暦寺の一角。
既にボリューム満点です。
横川中堂
所在地:滋賀県大津市阪本本町4225
電話:077-578-0830
駐車場:あり
HP:http://www.hieizan.or.jp/
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