臨床で看護師12年やってきましたmasayan(@masayan382)です。
2019年、ずっとプライベートな時間はプログラミングの勉強に費やしてきました。
このたび、転職活動に成功し来年からWEBエンジニアとして歩むことになりました。合わせて、年内で看護師を辞める運びとなりました。
おかげさまで今年のブログ更新頻度は過去最低。書こうと思っていた記事も結局書くこともできない1年でしたが、それ以上に人生が変わった1年でもありました。
今までであれば来年もきっとこんな日々なんだろうなとある程度の予想もたてられたわけですが、来年はどうなるのかさっぱり検討もつきません。
なので、来年の今頃、この記事をどんな気持ちで自分が見ているのかもわかりませんが激しく人生が動いた今年一年を記録しておこうかと思います。
最初はそんなつもりはなかった
ちょうど2018年末、私は仏教にハマりました。仏教について知識を得たことで、「生きることとは苦しいこと」ということを改めて学び、自分の人生を考えました。
どうしたら俺は幸せになるんだろうか。座禅をすることもありました。
答えの出ない悩みに悶々とすることもありましたが、今自分ができることをしようとシフト。
とりあえず、山のように溜まっている歴史スポットの写真を記事にしてアップすることにしました。
職場の劣悪な環境が過去最強に劣悪化
はっきりいって元から職場の環境は劣悪。それでも給料がよそよりいいから働いていただけのブラック病院でした。
何がどう劣悪かというと、劣悪すぎて人が辞めていきます。新しく看護師の補充がされません。なにせ誰も就職しようと思えない病院だから。
それでも仕事量が減りません。少ない人数で今までの仕事をこなすわけですから一人あたりの仕事量も増えるわけです。
看護師さんが読んだらわかると思いますが、2交代勤務で月の夜勤はだいたい8回前後です。
ほぼ夜専のような勤務シフトのできあがりです。
言ってもわからぬ馬鹿ばかり・・・pic.twitter.com/p1X7tt3VTh
— 煽りに使える画像bot (@aoribot1) 2019年12月5日
師長や部長とも話をしましたが手の施しようのない現状に嫌気が差したのでした。
出会いは、突然に
職場に活路は見いだせず、趣味のブログに勤しむ日々。
とある新人ブロガーさんが私をフォローしてくれました。
ブログのブの字も知らない初心者の彼がいつの頃からか本格的にプログラミングを学ぶ宣言をし、メキメキと上達していく経過を目の当たりにしました。
独学ではありましたが、ブログのデザインをいじったりといろいろいじるのが好きな私としてはあっという間に追い抜かれ、若干の悔しい感情が湧いたのです。
今の職場に絶望を感じている状況で「…路線を変える…?」ふっと湧いた感情に戸惑うようになりました。
本格的にプログラミングと向き合う
「プログラマ35歳限界説」ってのがあるそうです。
いきなり凹むワードと遭遇。あと5年早かったら…なんて思いましたが5年前にエンジニアになりたいとは思わなかったでしょう。今だから思うことなんだと言い聞かせました。
エンジニアに転職された方々のブログを読み漁り、これだっと思った方に直接DMを送り相談させていただきました。
やる前から結果なんかわからん。とりあえず、勉強はしよう。勉強の進み具合や実力をみて転職できるレベルになったときには転職を考えよう。可能なら35歳のうちに(夏までに)転職できたら最高や。
いくつかのプログラミングスクールを漁り、紹介していただいた某オンラインスクールに決め勉強始めました。
プログラミング漬けの日々
2~9月はもっぱらプログラミング勉強。
ひたすら勉強。とにかく勉強。夏は少しやる気が削がれましたがなんとか持ち直しました。
なんせね、自分より後から始めた人があっさり自分よりすごいもん作ってはtwitterにアップしてくんでね。
36歳になってしまったおっさんにはダメージすごいんですよ。
とりあえず、スクールでもまずまずのところまで進み、当初どうするか保留していた転職と向き合う時期がきました。
夏休みは9月下旬に申請。
夏休みまでにポートフォリオを作成。数社、転職活動をして内定をもぎとれたら看護師は廃業しようということにしました。
Githubに大苦戦。GIFを作るのにも大苦戦。こんなんで本当に大丈夫かよ~って本気で思いましたね。
転職活動
10月に入り、ポートフォリオもなんとか形になりました。
一応ダメ元で某転職サイトを利用してみました。面談、ひどかったんです。
masayanさんは36歳なんですね。
はい。フロントエンドエンジニア志望です。
人気のあるところですね。バックエンドはどうですか?
まぁ、少しはPHPも触りましたがフロントの方が楽しそうなのでフロントでいきたいです。
…、masayanさん、年齢的に厳しいですね。バックから入って、数年現場経験を積んでからフロントに転向するしかないですよ。
俺、若くないんで遠回りする方が辛いです。ダメ元でいいんでフロントで探してもらえないのでしょうか。
でもねぇ~年齢がですね~…。
…。じゃぁもういいです。
というやり取りをしました。俺のポートフォリオも見ることもなく年齢しか見ていないこの転職会社に俺の人生預けようとした自分がアホやったなと途中から自分に怒りを感じました。
もちろん向こうの言い分もあるでしょうし、それは若くない俺が悪い。この年齢でWEBエンジニアになる方法を考えてくださった結果が上記のプランなのでしょう。
でも、それは俺が求めているものとは違う。
ということで転職会社はアカン。自分でwantedlyで会社を探して応募しました。
7社くらい応募して返事があったのが3社。最終面接まで進んだのが2社。内定をくれたのも2社でした。
条件も詰めていただき、某WEB会社で来年からフロントエンドエンジニアとして働くこととなりました。
目まぐるしい2019年から2020年へ
というのが私の2019年でした。
と知人・友人に伝えると、「がんばれー!!」って応援してくれる人や「そうなんだ~、へ~」っと反応の薄い人。
「看護師辞めない方がいいんじゃない?」という人、それぞれでした。
でも、やっぱり5年後に挑戦はできない。10年後も挑戦できない。
挑戦できるのは今しかないって思ってしまったのです。
私の看護師としてのピークは29歳の頃の救命センターでバリバリやってたときです。
一度燃え尽きてからはそのときまでに培った経験と知識の財産でやってるようなもので、看護師として成長していないように思います。
「人間は前進しているとき以外は後退しているようなもの」と思うようになりました。
現状維持をする「今」に飽きた。
前に進めていない時点で、現状維持ですら後退である。
それは誰に言われるでもなく、自分自身がわかってました。
自分が、今、何をしたいのかと向き合い出した答えがこれでした。
幸いなことに看護師は国家資格で更新制度もありません。
なので、応援してくれた人以外の人間には「だめだったら看護師に戻るわぁ。職に困らんもんね」そういうと大概「さすが看護師。それなら大丈夫か」と言っていただけました。(完全にうわっペラやね)
まぁ、そうは言っても看護師に戻るつもりはありません。
だめなら戻るなんてスタンスで成功することはないでしょう。
そして、妻が理解を示してくれたことにも感謝しています。
既に12月から1月までの2ヶ月間、研修と自己学習に費やして2月から本格スタート予定です。
あぁ~どうなることやら。
でもね、下手くそなりに取り組んでみるとプログラミングって楽しい。やっぱりできなかったことができるようになるって嬉しいですよね。楽しいです。
「数年、同じようなところで足踏みしていた時間がもったいなかったなぁ」と思えるくらい。
今は一歩ずつ、前に進んでいるような気がしますし、それに達成感も感じています。
我々人間は産まれた場所も、親も、産まれた家庭の経済状況も選べません。何より他人と、いやなんなら兄弟ですら平等ではありません。
ですが、他人と唯一、平等なものは「時間」だけです。1日24時間。これだけが他人と同じものです。
好きなように使える1日24時間の貴重な時間を売った見返りにお給料をもらっています。
どうぜ自分の人生の時間を売るんだったら、好きなことに人生の時間を売って、その分の給料をもらいたい。自分の寿命の一部である時間をドブに捨てた人生に価値はあるのか?絶対にないな。
心からそう思うようになりました。
自分が死ぬとき、後悔したくない。
「やっぱあのとき○○してみたかったなぁ。あの女の子に声かけたかったなぁ。勇気が出せなかったなぁ。エンジニアへの転職挑戦してみたかったなぁ。やってみたら面白かったんじゃないか?…あぁ~、心残りだ…。」…そう言って死にたくない。
後悔することなく、人生を終えたい!
そのために、来年は挑戦します。
待っていても世界は変わらない。でも自分なら簡単に変えられる。自分が変われば世界が変わる。
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