続いて向かったのは鎌倉名所のひとつ。
いや、なんなら鎌倉大仏以上の鎌倉の代名詞かもしれません。
では、改めてご紹介させていただきます。
その名は…【鶴岡八幡宮】です。
鎌倉八幡宮とも呼ばれることもあります。
鎌倉初代将軍・源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東界隈で知名度が高い鶴岡八幡宮です。
鎌倉に行くなら是非寄ってほしいスポットです。さっそく参りましょう!
鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)とは!?
康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。永保元年(1081年)2月には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えた。
引用元:Wikipedia「鶴岡八幡宮」
現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。
歴史深いく、厚く信仰されてきた鶴岡八幡宮。さっそく参拝しに行きます。
なお、鶴岡八幡宮の大元、京都の石清水八幡宮はこちらです。合わせて御覧ください。
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では、参りましょう。
いざ、鶴岡八幡宮へ
手水舎で清めてから見えたのがこちら。
「舞殿/下拝殿」
とても美しい舞殿なのですが、こちらには悲しいお話も。
倉幕府を開いた源頼朝。彼の弟であり、源氏を背負って西国で平家を討った「源義経」。
源氏の棟梁である頼朝を経由せず、天皇から恩賞をもらったことに激怒し弟・義経を討とうとする兄・頼朝。
全国指名手配となり義経は東北へと逃げていくこととなります。
義経の妾であった「静御前」も頼朝に捕られられてしまいます。
元々、舞の名手としても有名であった静御前。頼朝の妻・北条政子が静御前の舞を見たいと言ったことから、義経は静御前に舞を踊るよう命じます。
四面楚歌の状況下で静御前はあろうことか頼朝と対立していた義経を慕う歌を詠んで舞います。
頼朝は激怒しますが、妻の北条政子が「私が同じ立場でも同じ歌を詠んだでしょう」となだめると、頼朝は「女の道はこうあるべきか」と感心したというエピソードがあります。
そんな歴史ある舞殿は下拝殿として鶴岡八幡宮に堂々と残っていることが嬉しいですね。
ちなみに、現在も「鎌倉まつり」ではそれにちなんだ「静の舞」が行われます。
どうしてもみなさん本宮を目指して突き進む方が多いと思うので一度、こちらでそのような悲しいことがかつて行われたんだなと思っていただければ幸いです。
なお、その状況は大河ドラマ「義経」でも描かれていました。是非、合わせて御覧ください。
義経がその身を隠していた奈良県吉野山のスポットはこちらです
続いて長い石段を登って拝殿を目指したいところですがその前にご注目。
大銀杏
石段の足元横に銀杏があります。
平成22年3月10日未明、樹齢1000年といわれ、八幡宮の長い歴史を見つめてきた大銀杏が、雪混じりの強風によって倒伏してしまいました。
倒伏した樹幹部分は、再生可能な高さ4メートルに切断。倒伏したあとや親木から芽生えたひこばえが育てられており、親木とともに「親子銀杏」として、大切にお祀りされています。
是非、参拝されるたびにその成長ぶりなんかも見守ってください。
さ、それから石段を登り本宮を目指します。
鶴岡八幡宮・本宮へ
61段の大石段をのぼるとそれはそれは壮麗な社殿待ち構えています。
現存しているこちらは1828年 (文政11)年、江戸時代11代将軍、徳川家斉公により造営されたものです。
「流権現造」というもので、国の重要文化財に指定されています。
ちなみに、楼門の扁額に記された八幡宮の「八」は鳩の向き合う形を表しています。
これは八幡神の使いが「鳩」であることにちなんだものだそうです。
言われないと気が付かないレベルですねぇ。
是非、この記事をご覧の方は見落とすことがないようチェックしてくださいね。
御祭神
応神天皇 、比売神、神功皇后 です。
創建約800年の鶴岡八幡宮。歴史豊かなこの神社。参拝できるのもありがたい話です。
ここからは境内摂末社を。すべては回りきれなかったのでその一部をご紹介します。
摂末社
丸山稲荷神社
こちらの社殿は室町中期の様式で、境内において最古の建造物とされています。
若宮
こちらの若宮も重要文化財にも指定されています。1180年、鎌倉に入った源頼朝が、源頼義が創建した由比若宮を小林郷北山に移し、鶴岡八幡宮新宮若宮としたのが始まりとされています。
白旗神社
北条政子によって1200年に創建されました。ご祭神は源頼朝と源実朝です。
旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)
鎌倉七福神の一つです。
鶴岡八幡宮の入り口に「源平池」があります。東の方角の池を「源氏池」、西の方角の池を「平家池」と呼びます。
そして、東側の池・源氏池に旗上弁財天があります。
御社殿は八幡宮御創建800年(昭和55年)に、文政年間の古図をもとに復元したものです。
朱色の社殿の周囲には、白地に黒線が2本引かれた旗が数多く風にはためいています。これは、頼朝公の平家打倒の旗上げにちなみ、さまざまな願いを込めて奉納されたものだそうです。
池の中に浮かぶ島にある社という絶好のロケーション。多くの人がこちらには足を運んでいます。
政子(姫)石
そんな中、こちらの社殿の裏側には「政子石(姫石)」というものがあります。
江戸時代後期には子授けを願う女性が拝んだという記録が残っているそうです。もちろん現在においても女性や夫婦が祈願に訪れる信仰が集まるスポットになっています。
これが大人気の秘訣のようです。
おわりに
実はボリュームたっぷりな鶴岡八幡宮。近年では三大八幡宮の一社にノミネートされることもあるほどです。
パワースポットとしても、鎌倉の顔としても名実ともに日本を代表する八幡宮。
是非、鎌倉を訪れた際には参拝してみてください。歴史に見どころに魅力たっぷりの神社でした。
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鶴岡八幡宮
所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−3
電話:0467-22-0315
HP:https://www.hachimangu.or.jp/
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