前回は寄り道をしましたが、軌道修正しまして、ようやく目的に到着しました。
今回の目的は前々回の「鹿島神宮」で少し触れた項目になります。
それがこちら。
塚原卜伝のお墓です。
塚原卜伝といえば戦国時代にその名を轟かせた剣士として有名ですね。
…というと私がいかにもなんでも知ってる歴史マニアと思われそうですが私もあるときまではしりませんでした。
というのも、ある作品をたまたま見ていたからなんです。
たまたまこれを見ていたからなんですね。うん。我ながらすんごく単純。
大河ドラマ「新選組!」の山南さんを見てから俳優の堺雅人さん大好きなんです。
もちろん真田丸も最高でした。
話はそれましたが歴史に名を残した剣豪のお墓参りのときの話をします。
塚原卜伝(つかはらぼくでん)とは!?
塚原 卜伝(つかはら ぼくでん)は、日本の戦国時代の剣士、兵法家。父祖伝来の鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いた。
引用元:Wikipedia「塚原卜伝」
すごくあっさりしてしまったので少し補足。
諸国を武者修行しているときは、その活躍ぶりからお弟子さんが増え、その人数は80人あまりにもなったそうです。
何を隠そう、「幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった」などの伝説により後世に剣聖と謳われたそうです。
すごい話ですね。
将軍・足利義輝、足利義昭や伊勢国司北畠具教、武田家軍師山本勘助にも剣術を指南したそうです。
塚原卜伝の墓(つかはらぼくでんのはか)
戦国時代に生きた剣の達人。鹿嶋市が誇る偉人の一人。
鹿島神宮の神職卜部吉川家に生まれ、塚原城の城主塚原土佐守安幹の養子になる。
16才から武者修行で全国を歩き、戦場や真剣勝負で修練を重ねる。
生涯一度も負けたことがなく、全国にその名を知られる。
この間に将軍足利義輝や伊勢の国司である北畠具教などを指導。
鹿島新当流の開祖で、戦国の乱世に、
「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」
と剣の平和思想をもって生き抜く。
人はいつしか卜伝を「剣聖」の名でたたえる。鹿島新当流は県の無形文化財に指定されています。引用元:案内板より
塚原卜伝は単純に剣が強かったからではなく、戦国の世において、下剋上がはびこる時代に「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」と活人剣を説いたことが剣聖たる所以なのだろうと思います。
石段を登ります。
見えてきたのが小さなお墓。
剣聖 塚原卜伝の墓
塚原卜伝は、今から五百年以上前の延徳元年(1489)に常陸の国一之宮鹿島神宮の神職である卜部家吉川左京覚賢(あきかた)の二男(幼名は朝孝)として誕生、幼少の頃に沼尾の塚原城主・塚原土佐守安幹(やすもと)の養子となり、のちに元服して塚原新右衛門高幹と名乗ります。 幼少の頃から実父に鹿島の太刀、師の松本備前守に天真正伝香取神道流を学び、永正二年(1505)には、十六歳で廻国修行の旅に出て、十四年間腕を磨き、初めて真剣勝負や戦場の戦いを経験します 。 永正十五年に帰国すると、鹿島神宮に千日籠もって精神修養に励みました。やがて悟りを得た僕伝は、大永三年(1523)に二回目の廻国修行に出かけ、天文元年(1532)に戻ると塚原城主となり、妙を妻に迎えます。 しかし、短い結婚生活で妻が亡くなると、城を養子に譲り三回目の修行に出かけます。 京では、時の将軍足利義輝や伊勢の北畠具教(とものり)など多くの大名や武人に剣を教え、十一年後、鹿島に戻ります。 三回目の修行から戻った卜伝は、塚原城近くの草庵に棲み、弟子たちに剣を指南しながら、元亀二年(1571)八十三歳の生涯を閉じました。 親子が、兄弟が、血で血を争う戦国時代にあって、「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」(活人剣)と平和思想をもって生ぬいた卜伝を、いつしか人々は剣聖の名でたたえました。
引用元:案内板より
とてもシンプルなお墓。
こちらに卜伝先生が眠られているのですね。
感慨深い瞬間でした。
おわりに
お墓から見えるのは美しくのどかな田園風景です。
剣を極めるがため腕を磨きに磨いた結果至った悟りの境地が「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」という言葉なのかなと思いました。
ある種矛盾がある言葉ですよね?
人を活かすのなら神職になったりや出家するなどいくらでも違う手段があると思うのです。
いや、人を傷つけてしまう道具で人を活かすことに意味がある。
そういう意図なのかなと個人的に思うのです。
簡単に名前も顔も隠して人を傷つけることができる一方で、正しく使えば人を喜ばせることもできます。
どちらにも転ぶ結果を招く道具を人がどう扱うのか。
その論点は平和な令和の時代も戦国の世も同じなのかもしれませんね。
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塚原卜伝の墓
所在地 |
〒314-0047 茨城県鹿嶋市大字須賀 |
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駐車場 | あり |
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