日光東照宮を堪能したmasayan(@masayan382)ですが、帰り道、どうしても寄りたい場所があったため立ち寄りました。
おそらく、こういうところに立ち寄ろうとする人間は少ないかもしれません。
是非、興味が湧いた方におすすめしたいのが群馬県のこちら。
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)です。
三大東照宮の日光、上野、久能山にはカウントされていない東照宮。
それでもゆかりも秘話もなかなかのもので、最初の日光東照宮の社殿を拝むならこちらを訪れることで可能となるのです。
では参りましょう。
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)とは!?
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社である。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。
とのことです。
大猷院で三代将軍・家光の話をしていますのでそちらも参照してください。
元々、日光東照宮には家康亡き後に二代目・徳川秀忠が遺言に従い質素な社殿を建て家康公を祀っていました。
その後、三代目・家光が祖父・家康公のためを想い、大枚をはたいて豪華絢爛な社へと改修したのでした。
そして、その二代目・秀忠が建てた際の社殿はここ、世良田東照宮に移築されたのでした。
この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。
家康が源氏の末裔というのは捏造説も多いにありますが、新田氏のゆかりの地を徳川氏ゆかりの地としたかった意図もあったのかもしれません。
そして、徳川家光の命により、徳川氏の遠祖の世良田義季の墓があり、天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建されたそうです。
都市伝説好きにはたまらない天海という人物。この人物が出てくるだけでワクワク感が止まらなくなるわけですが、天海さんのお話はまた後日するとして今回は流します。
というわけで、世界遺産・日光東照宮とゆかりも縁も深い、この世良田東照宮をご紹介します。
いざ、世良田東照宮へ
御黒門(縁結び門)
こちらが御黒門(縁結び門)
東照宮創建時、幕府により建てられた門で、左右には八十メートルの白壁の塀がありました。江戸時代は平常閉ざされ、門前での参拝。正月・四月の祭典日などは特別に開かれ、拝殿下の階段までの参拝が許されました。この門の<ruby>蹴放けはなし(溝のない敷居)をまたいで参拝すると、良縁が成就すると云われ、縁結び門とも言われています。引用元:世良田東照宮立札「御黒門(縁結び門)」
確かに立派な黒い門です。縁結びのご利益まであるならばそれはそれですごい門です。
上番所
東照宮を護るための警備施設なのだそうです。
奥の壁には刺股がありますねぇ。
世良田東照宮・拝殿
すでに奥から重厚感が漂ってきます。
なんとも厳かな雰囲気がたっぷりです。
こちらが冒頭でもお話したように、元日光東照宮の拝殿です。
秀忠さんが建てた社殿なわけですが、家康の遺言にしたがって質素にという話ですが、それでも普通の社よりも少し豪華ですね。
これはこれで私は好きです。
拝殿
日光東照宮奥社拝殿として元和年間(1615~1623) に造営され、寛永17年(1640)~同19年に当地、徳川氏発祥の地「世良田」へ移築された。設計施工 中井大和守正清の最後の作ともいわれ、桃山時代の特色をよく表している。
この中井正清さんがすごい名工さんで、江戸城や知恩院、増上寺や二条城、日光東照宮・久能山東照宮など徳川ゆかりの建築物を担当された方だそうです。
社務所で拝観料を収めて本殿を見に行きます。
やはり細かい造りは家康公を祀るための想いが籠もっていそう。
あちこちに美しい龍と葵の御紋。
質素の中でも絢爛さが垣間見えます。
本殿はさすがの美しさ。これはまごうことなき東照宮の社殿でした。
摂社・末社
人形代祈願
形代に名前を記し、身体をなでて息を三度吹きかけます。鳥居をくぐり、御神水に浮かべ、「神拝詞」を唱えてください。
開運稲荷社
こちらが稲荷社です。
真言院井戸
こちらの井戸、よく見ると継ぎ目がないため1つの大きな石をくり抜いて作られたようです。
案内板に記載もありましたが、こちらは南海坊天海によって作られたものだそうです。
天海ファン必見の井戸です。チェックしてみてください!
こちらは普光庵跡の跡地です。
新田荘歴史資料館
そして楽しみにしていた新田荘歴史資料館
無念の臨時休館。
新田義貞公の銅像
新田義貞公といえば稲村ヶ崎の伝説ですね。
後醍醐天皇からいただいた太刀を海に投げ入れると潮が引き、天然の要害となっている鎌倉幕府に海側から攻め入ることに成功。鎌倉幕府を討ち滅ぼす成果を上げたという伝説ですね。
家康公はそんな新田氏の末裔にどうしてもなりたかったということなんでしょうか。
日吉社
東照宮勧請時に日光山より移遷されたそうです。
神猿像も収められています。さすが日枝神社。やはりお猿さんですね。
日枝神社では神猿(まさる)を神の使いとされています。この神猿は「勝る」と「魔が去る」という意味もあり、猿が「縁」を運ぶという考えがあるそうです。
そして桃太郎でおなじみ、鬼を倒す存在として風水上、鬼門の反対側を司る存在として用いられることもあります。
そのためこの世良田東照宮の鬼門に対し、日枝神社が設置されているとのこと。
このあたりも風水に長けた天海さんの意図だったりするのでしょうか?
おわりに
魅力が尽きない世良田東照宮いかがでしたか?
意外と穴場の名スポットではないでしょうか?
個人的にはけっこう楽しめるスポットでした。
やはりね、最初の東照宮の社がこうして残っているという事実を知らない人も多いかと思います。
こちらはこちらの良さがありますので気になった方は是非参拝してみてください。
世良田東照宮
所在地 |
群馬県太田市世良田町3119番地1 |
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電話番号 | 0276522045 |
駐車場 | あり |
HP | https://www.net-you.com/toshogu/ |
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