今回からお話しさせていただくのが「京都シリーズ」です。
以前、少しだけお話ししたことがあったのですが私は約半年間だけですが京都に住んでいました。
それもこれも、「京都の寺社を巡りたくて」です。
京都での狙いは「新選組」と…「平清盛」でした。
では参りましょう。今回は清盛さんの神社です。
神社の前は幟でいっぱいでした。
こちらが今回訪れる出世開運のご利益で有名な「若一神社」です。
若一神社(にゃくいちじんじゃ)とは!?
若一神社は平安末期に平清盛(たいらのきよもり)の別邸・西八条殿がかつてあった場所に建つ神社。
若一神社は1166年(仁安元年)平清盛が熊野詣の際、お告げがあり、西八条殿内を探したところ若一王子(熊野権現の第一王子)の御神体を発見しました。そしてそれを別邸内に社を造って祀ったのが起源とされています。
また、翌1167年(仁安2年)平清盛は太政大臣に任ぜられたことから開運出世のご利益があると言われています。
いや~、ここがあの平清盛が出世するきっかけになったところとは。感動です。
へ?平清盛って誰かって?
平清盛(たいらのきよもり)とは!?
伊勢平氏の棟梁・平忠盛の長男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任せられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた。
平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は貴族・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、熱病で没した。引用元:Wikipedia「平清盛」
ちなみに清盛さんがそんなにすごいのか?という話ですが、当時政治を行っていた貴族の護衛や取り締まりなんかをしていた武士のみなさん。
その後、貴族の世界にぐいぐい入り武士でありながら太政大臣というTOPの座に上りつめたのが清盛さんです。
彼がいなければその後、武士の世が訪れることはなかったと私は思っています。
今、我々が当たり前のように使っている貨幣というのはこの清盛さんが当時の中国・宋のお金である宋銭を導入したからこそのものです。
後に天下人目前までせまった織田信長は誰しもが知っているくらいの知名度ですが、それに負けないくらいの偉業を成し遂げていた平清盛という人物。
松山ケンイチさんが演じられていた大河ドラマ「平清盛」もかじりついて見ていました。
いざ、若一神社へ
京都駅よりJR「西大路」駅から北へ徒歩約5分のアクセスの良さです。
神社の前には清盛公西八条殿跡と書いてあります。
平清盛さんが六波羅に居住していた時期に、西八条殿という別邸を建てたとされています。
当時、この地は水源が豊かで大木が立ち並ぶ風光明媚な森で、清盛もしばしば来遊していたとか。
かつてはここにいらしていたのですねぇ~。感慨深いです。
絵馬と宮司さん
絵馬はもちろん清盛さん。
実は神社であまり絵馬を書かないmasayanですが、今日くらいは書いておこうとペンを走らせます。
そんな矢先遠くから視線を感じました。
宮司さんからでした。何も話しかけてこないので無視して絵馬を完成させました。絵馬かけに結びました。
気が付くと宮司さんが隣にまで接近してきました。
お兄さんは平清盛が好きなんか?
そうかそうか。お兄さんは東京の人やな?せっかくやから中に上がって行きなさい。面白いもん見せたるわぁ。
そんな事を言っていただき、社務所の中の来賓席のようなところに通していただきました。お茶つきです。
大河ドラマが終わるまではそれはそれはものすごくたくさんの人が訪れてね。毎日、何回も観光バスがきて、たくさんの人の前で話すもんだからさ、人前で話すことにも慣れちゃったんだけどさ。もう、ドラマ終わったら暇で暇で…。これね、松山くんの写真ね。ドラマのスタッフさんたちも来てたんだよ。ほら写真見てって…。
といった感じで、参拝客がめっきり減って悲しい顔をしている宮司さんがマシンガントークで清盛さんについていろいろと教えてくださいました。
ちなみに、机の上にあるものが人生初の御朱印帳です。
若一神社で初めて御朱印帳を買い、初めてもらった御朱印は若一神社です。
では、続きと参りましょう!
平清盛公ゆかりの御神水
平清盛ゆかりの開運出世の水として、新生児誕生に際しての産湯としても有名です。
運が開けたなど御神水による様々な奇跡が広まり、水を汲む人々の跡が絶たないとのこと。
何より、平清盛さんがが熱病の時、体を冷やした水とも伝わります。
ちなみに祇王歌碑がお隣にあります。
平清盛像
やっぱりこの神社に必要なのが平清盛さん!貫禄がある凛々しいお姿素敵です。
そして神社の向かい側へ移動します。
道を挟んで向かい側にあるのがこちら。
平清盛御手植楠
こちらはその名のとおり、平清盛さんが太政大臣に任ぜられた際、それを感謝し自らの手で植えたと伝えられる御神木です。
樹齢800年を超えており、若一神社の御神木です。
都落ちの際に火を投げられても楠は焼け残ったと言われています。
京都の区画整備をはねのけた御神木
これは先ほどの宮司さんから教えていただきました。
京都は碁盤の目のように整備された町です。そのため都市計画や区画整備・道路整備のためにこの楠を切ろうとすると関係者に災いが起こりました。そのため今でも大きな楠はそのままなのだそうです。
よくよく見ると西大路通りは少し膨らんだままになっています。是非、ご参拝になられる際は道が御神木を避けて曲がっていることを肉眼で確認していただければと思います。
ちなみにでいうと、京都の区画整備をはねのけたのは「本願寺」と、「若一神社」だけだそうです。
おわりに
若一神社はいかがでしたか?少し平清盛さんに興味わきましたか?
未だにその功績が称えられる清盛さんがどれだけすごいかって話ですね。
宮司さんに教えていただいた情報を胸に今度は六波羅の方も攻めます。
若一神社
所在地:下京区七条御所ノ内本町98番地
電話:075-313-8928
HP:http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/05/010/
コメント