こんばんは。歴史も神社も京都も大好きな看護師のmasayan(@masayan382)です。
今回ご紹介するのは京都でも歴史が動いた場所と言っても過言ではないあの場所です。
なかなか、歴史的にはどうしてそんなことになっちゃったの?って言いたくなるようなイベントが起きてしまいます。
そう、花の都で。
歴史の教科書にも名を残す「応仁の乱」。今回はその勃発地としても有名な「御霊神社」を訪れました。
上御霊神社の呼び方の方が有名かもしれませんね。
では参りましょう。
御霊神社(ごりょうじんじゃ)とは!?
この上御霊神社は怨霊を鎮めるために桓武天皇の勅願により造られた御霊社の一つです。
上御霊神社は、下御霊神社に対する呼び名で正式名称は「御霊神社」です。
現在の祭神は八柱で、「八所御霊」とも称されています。
- 崇道天皇
- 井上大皇后
- 他戸親王
- 藤原大夫人
- 橘大夫
- 文大夫
- 火雷神
- 吉備大臣
上記の諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのがこの御霊神社ということです。
↑この近辺は、かつて足利義満が造営した花の御所があった場所とされています。
応仁の乱 勃発の地
1467年、1月18日、この日、畠山政長は自邸を焼いて上御霊神社内にある森の中にたてこもり、同族の畠山義就と戦います。この御霊合戦と呼ばれる戦が引き金となり、応仁の乱のへと発展してしまいます。
そして、その合戦はその後10年以上も続き、京都の大半を焼き尽くしました。上御霊神社はその応仁の乱発端の地であるのです。
歴史の教科書に太文字で出てくるような歴史的大事件の場所に今日足を運ぶ日がくるとは…。
なんとも言えない感情が湧いてきました。
いざ、上御霊神社へ
対をなす狛犬さん。凛々しいお姿です。
そしてこちらが拝殿。とても壮麗な綺麗な造りです。
至徳元年には正一位の神階を授けられたそうですが、朝廷の篤い崇敬を受けていたというのもうかがえます。
拝殿、本殿の横から。
歴史的事件の舞台ともなった格式高い上御霊神社に参拝できて感激です。私のような、歴史好きな人間は是非押さえてくなる名スポットだと思います。
可能であれば是非下御霊神社も合わせて参拝してみてください。
合わせて読みたいLINK 下御霊神社は京都御所の産土神として崇敬されてきた社
御霊神社
所在地:京都府京都市上京区 上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地
電話:075-441-2260
HP:http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/index.html
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