前回の続きと参りましょう。
戦国武将・明智光秀のゆかりの地、「福知山城」を訪れました。
明智光秀ゆかりの地はお城だけじゃないはず…。そう思っているとやっぱりありました。
【御霊神社】です。
こちらの神社では明智光秀を祀っているとのことです。せっかく彼のゆかりの地に来たからには訪れるしかありませんね。
参りましょう。
御霊神社(ごりょうじんじゃ)とは!?
創祀は1705年(宝永2年)。もともと宇賀御霊大神を祀る神社であったが、福知山城主・朽木氏が明智光秀の合祀を許し、社号もこれに由来する。当地を「福智山」と命名し、福知山城を近世の城に改修し、善政をしいた明智光秀にまつわる数多くの史料を有する。明智光秀関係文書3点(光秀書状2点、明智光秀家中軍法1巻)が福知山市指定文化財となっている
引用元:Wikipedia「御霊神社」
とのことです。元々は宇賀御霊大神を祀ったことから五穀豊穣商売繁昌の神として崇められていたそうです。
「御霊神社」というのは「冤罪で非業の死を遂げた者を祀る神社」とされます。
こちらの神社は明智光秀を冤罪で亡くなった者と捉え、その御霊を慰めるために「御霊神社」となったとされています。
いざ、御霊神社へ
↑手水舎
明智の家紋「桔梗紋」で仕上がってます。これはシャレオツ!
まだ紅葉が残っている時期に行ったのですが、石段を上から包むように紅く燃えた葉が重なります。
太陽光もちょうど刺すように降り注ぎ、紅葉の美しさを際立たせていました。
なんと美しい参道。これは素晴らしい。
↑狛犬さま。
石段を登りきり、ようやく拝殿が見てきました。
いざ、拝殿へ
朱色がまぶしいくらいです。
御祭神は宇賀御霊大神と明智光秀公です。
明智光秀と聞けば、織田信長を討った裏切り者的な印象が強いです。
しかし、光秀は治めていたこの地で堤防を築いたり、免税をするなど民衆のための政治を行ったため、地元の方からは現在も慕われています。
明智光秀が亡くなった100年後、1705年に明智光秀の霊を合祀したのがこちらの御霊神社ということです。
↑恵比須神社
↑堤防神社
近隣を流れる「由良川」がたびたび大洪水を起こしていたそうで、治水事業により発生が抑えられるようになりました。それに合わせて昭和59年に建立されたとのことです。
堤防神社
福知山は豊かな由良川の流れに多大の恩恵を受けて参りましたが、その由良川は時として大洪水となり、
流域の人々は大きな災害を受けることが度々でした。
近年着々と進められる治水事業の成果により次第に水禍の遠ざかりつゝあることは誠に喜ばしいことであります。
堤防愛護会では長年にわたり治水事業の進展と堤防の愛護と感謝を訴え、毎年8月15日に「堤防まつり」を行い、
神事と神輿の市内巡行を行っております。
昭和59年には、こうした活動のよりどころとして「堤防神社」を建立いたしました。
多くの市民の皆様方のご理解による浄財をもって竣工を見たものであります。
過去の災害の記憶も薄れがちな昨今、水害防止の拠点としての神社のご加護により再び水禍の来ることのない
福知山であることを念願するものであります。引用元:境内掲示板
↑叶石
叶石発祥縁起
この石は、礫岩(れきがん)で俗称を子持ち石と云い神縁により当社に奉納せられた霊石である。
古代この石を創り給いし神秘に因み知恵の秀れし思兼神、大力無双の手力男命の二柱神をお鎮めし
境内の一隅に悲願成就神としてお祀り申し上げたがその霊験を讃え誰言ふとなく叶石と唱えるに至る。
近年厳しき?に処する爲、又大事を計る時各自の努力の上に神々の加護を受け道を開かんと
受験合格必勝祈願・縁談・諸災難除等の祈願参りの日に増しければ改めて此処を選び遷座申上げ
神徳を広くに宣べ伝うる次第なり。引用元:境内掲示板
見どころいっぱいの神社でした。
おわりに
明智光秀と言えば、天下人・織田信長を裏切った人物という目線でとらえる方が多いかと思います。
ですが、民からの税を免税したり、河川の氾濫を防ぐために「明智藪」と呼ばれる堤防などの整備に努めたことから民に慕われている領主だったという一面があります。
そこまで学校の授業で教えてくれてたらもっとイメージが変わるかもしれませんね。
最近では織田信長を討ったのは明智じゃない説なんかもありますし。
先入観を払拭し、もう一度「明智光秀」という人物を知りなおすというのも面白いかもしれません。
合わせて読みたい 福知山城とは臥龍城とも称された京都にある明智光秀ゆかりの地
御霊神社
所在地:京都府福知山市西中ノ町238
電話:0773-22-2255
駐車場:あり
コメント