数年前の話でなのですが、「京都に住んでみたい」と思ってずっと東京でくすぶっておりました。
当ブログでは「平清盛巡りをしたい」、「新選組巡りをしたい」そう言ってきました。
そのため、幕末の時代においてmasayanは「新選組贔屓の幕府側の人間」です。
しかし、「イギリスシリーズ」では「フリーメイソン大好き」もアピールしてきたmasayanです。
幕末のフリーメイソン話に絡んでくる「坂本龍馬」は特別好きだったりもするのです。
と、いうことで長崎シリーズ以来の坂本龍馬ゆかりの地へと赴きます。
龍馬ファンならご存じかと思いますが、「京都には坂本龍馬のお墓がある」のです。
今回は京都の「京都霊山護国神社」へと向かいます。
京都霊山護国神社(きょうとれいざんごこくじんじゃ)とは!?
1868年6月29日(慶応4年5月10日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。
坂本龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われています。
一度は龍馬祭見てみたいものです。
いざ、京都霊山護国神社へ
進むとすぐ目の前には大きな拝殿があります。
こちらが拝殿です。
本堂の前には「龍馬演舞場」の説明書きがありました。
こちらは「龍馬よさこい」発祥の地なのだそうです。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
そして、さらに奥へ上っていきます。さらに奥地へは有料となっています。
大人は300円くらいだったかな。
そして登っていくとこちらに至ります。
「坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓」です。
↑少し字が見えにくいですが、「坂本龍馬のお墓」です。
↑こちらが「中岡慎太郎のお墓」です。
坂本龍馬の暗殺事件は「近江屋事件」とも呼ばれています
11月15日(12月10日)、夕刻に中岡が近江屋を訪れ、三条制札事件について話し合う。夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後ろから斬られた(1日後に死亡)。大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入した。そして龍馬は額を斬られた(この他、浪士達が2人を斬る前に名刺を渡してから斬ったという説など諸説ある)。その後、龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られたところで刺客のひとりが「もうよい、もうよい」と言い、全員立ち去った。龍馬は即死か、ほとんど即死。中岡はまだ生きており助けを求めるが、2日後に吐き気を催した後に死亡した。
引用元:Wikipedia「近江屋事件」
大河ドラマ「龍馬伝」なんかでも描かれていました。
龍馬の暗殺実行犯としては現在の歴史学上では見廻組の佐々木只三郎らを実行犯とする説が通説とされています。
しかし、新選組説や薩摩藩陰謀説なんかもあるそうですが決め手には欠けているようで龍馬暗殺の実行犯は謎とされています。
すぐ近くには小さな銅像
お墓のすぐ近くには小さな銅像。
坂本龍馬と中岡慎太郎がおられます。
おわりに
お二人ともこの景色を眺めながら日本の行く末を見守ってくださっているのでしょうか。
幕末を語る上で避けては通れない坂本龍馬。
京都にいらした際は彼のお墓参りをしてみてはいかがでしょうか。
ここには坂本龍馬だけでなく、「桂小五郎」、「高杉晋作」、「久坂玄瑞」の墓もあり幕末を駆け抜けた志士たちに触れることもできる貴重な場所ですよ。
京都霊山護国神社
所在地: 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
電話:075-561-7124
HP:http://www.gokoku.or.jp/
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