日本神話において大好きな登場人物は?と問われれば「悲運の英雄・ヤマトタケル」と答えるmasayanです。
「草薙の剣」というゲームではよく登場する剣を実際に振るっていた人物です。なじみがありますね。
ちなみに、当ブログにおいては前回ヤマトタケルのお話しでした。
↑よろしかったらご覧ください。
そして、今回はそのヤマトタケルのお父さんのお墓へ行ってきました。
では、参りましょう。
ヤマトタケルの御父上、景行天皇陵です。
景行天皇(けいこうてんのう)とは!?
景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 – 景行天皇60年11月7日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日 – 同60年11月7日)。和風諡号は大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・大帯日子淤斯呂和氣天皇(古事記)。常陸風土記には大足日足天皇。播磨風土記には大帯日子天皇、大帯日古天皇、大帯比古天皇。日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。
引用元:Wikipedia「景行天皇」
九州の熊襲を平定するために息子のヤマトタケルを遣わすのですが、実はその前に自ら九州で熊襲平定を成し遂げていました。つまり、2回目の反乱はヤマトタケルが平定したということですね。
命令するだけでなく、実はちゃんと自らも動けるタイプの景行天皇。
また、子だくさん天皇としても記録が残っています。
『古事記』によれば記録に残っている御子が21人、残らなかった御子が59人、合計80人も御子がいたことになっているるそうです。
…すげーな景行天皇!
大和の纏向日代宮に都があったそうで、大和政権の確立や繁栄のために尽力されたのでしょう。九州征伐や東征が必要なのはそのためだったんじゃないかと思います。
御陵が奈良県にあるのも納得ですね。
いざ、景行天皇陵へ
すごく開けたところにあります。
地区の名を取って「渋谷向山(しぶたにむこうやま)古墳」とも呼ばれています。
全長約300m、後円部径約168m、後円部の高さ約25m、前方部幅約17m、前方部の高さ約23mです。
遠目にみても、ここが特殊なものだとわかります。
昔の人ってよくこういうの造ったなぁって思いますね。
おかげさまでこうして平成の世でも見ることができます。
ヤマトタケル巡りをするなら御父上の御陵も是非チェックしていただければと思います。
景行天皇陵/渋谷向山古墳
所在地:奈良県天理市田部町320番地
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