京都の神社を見てまわると、「天満宮」が多いなぁというのが私の感想です。
天満宮といえば祀られているのは菅原道真公です。
学問や雷の神様として有名ですね。
今回訪れたのは「水火天満宮」です。
こちらはなんと日本で最初の天満宮なのです。
今回はこの水火天満宮と菅原道真公の話を紹介させていただきます。
水火天満宮(すいかてんまんぐう)とは!?
延長元年(923年)、醍醐天皇の勅願により水難火難除けの守護神として延暦寺の尊意僧正に勅命があり、菅原道真の神霊を勧請し建立された。以前は同じ上京区の上天神町にあったが、堀川通の拡張に伴って1952年、現在の場所に移転した。
引用元:Wikipedia「水火天満宮」
実は後日に書く予定の神社へ行く途中でたまたま立ち寄った神社なんです。
足を止めた理由が「日本最初」と書いてあるところです。
天満宮なので菅原道真さんを祀っているのはすぐわかります。
水火天満宮が「日本最初の天満宮」と号する所以は、『天皇の勅命にて神号を賜り、天満宮とした事』と、『 初めて道真公の神霊を勧請した事 』によるそうです。
いざ、水火天満宮へ
私が参拝したときは「京洛8社集印めぐり」の一つに入ってました。
出世石
↑大願成就、世に出る石として信仰されています。
登天石
↑登天石の写真が載せれるレベルではなかったのでお写真お借りしました。
こちらの登天石にはこんなエピソードがあります。
そこで醍醐天皇は、延暦寺の法性坊尊意僧正に祈祷を依頼。勅命を受けた尊意が、急ぎ山を下りて宮中へ向かう途中、鴨川が突如増水・氾濫し町へと流れ込みました。
尊意は騒がずに、手にした数珠をひともみして、天に向かい神剣をかざして祈りを捧げたところ、不思議な事にたちまち水位が下り、水面が真っ二つ分かれ、水流の間から一つの石が現れました。
その上に菅公の神霊が現れ、やがて昇天し雲の中へ消えて、雷雨も止みました。
その石を持ち帰り供養して、「登天石」と名付け、現在に至るということです。
すごいエピソードですね。今でも大事にされている理由があります。
水火天満宮・拝殿へ
そして奥へ進み拝殿へ。
御祭神は菅原道真公です。
菅原道真とはどんな人物だったのかはこれから説明します。
菅原道真(すがわらのみちざね)とは!?
菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) – 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。引用元:Wikipedia「菅原道真」
右大臣まで務めた道真さん。とても文学にも長けた人物だったそうです。
無知だったころの私は「学問の神様なんでしょ?」くらいにしか知らなかったので受験のときにお願いしに行ったくらいですね。
ところが京都においては、「雷さま」レベルですね。
相当京都に落雷があったり災難が起きたそうです。そのため、京都にはたくさんの天満宮があります。
参考清涼殿落雷事件
やっぱ京都クラスになると寺社巡りが格段に楽しいです。教科書や噂で聞いたものがすごい近くにあるんだなぁと感じますね。
ということで、京都シリーズまだまだ続きます。
合わせて読みたい 菅原院天満宮は道真公生誕の地にして全国にある天満宮の聖地
水火天満宮
所在地:上京区堀川通上御霊前上る扇町722-10
電話:075-451-5057
HP:http://suikatenmanguu.com/index.html
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