なかなかに歴史スポットや英雄に乏しい我が故郷の埼玉県。
実は知る人ぞ知る隠れスポットがあったのでご紹介します。
それが、こちら。
【勝願寺】です。
実はこちらのお寺は、あの真田信繁を描いた大河ドラマ「真田丸」でも登場してました小松姫のゆかりの地なのです。
ということでさっそく参りましょう。
勝願寺(しょうがんじ)
浄土宗第3祖良忠が鎌倉幕府第4代執権北条経時から箕田郷松ヶ岡(後の鴻巣市登戸)の地を寄進され、一宇を建立したことに始まり、良忠の師である勝願院良遍にちなんで勝願寺と名付けられた[。良忠の没後は門下の良暁、定惠、良順が鎌倉光明寺と当寺の住職を兼任し、光明寺第5世住職・了専の時代には良順の弟子・良意が当寺の住職を務めたが、永享元年(1429年)に良意が没した後は相続する者はなく、浄土宗寺院としての歴史は途絶えた。その後、室町から戦国時代にかけての戦乱によって寺は荒廃し、宗派も真言宗へと改められた。
なお、創建の時期については建長4年(1252年)とも、正治元年(1199年)とも、文永年間(1264年から1274年)とも、文永元年(1264年)ともいわれ、松ヶ岡の地の寄進者については鎌倉幕府第5代執権北条時頼とする文献もある
引用元:Wikipedia「勝願寺」
JR高崎線の鴻巣駅から徒歩10分ほどの所にあるお寺で、徳川家の庇護を受けて栄えた寺院だそうです。
真田丸のピーク時にはこのお寺にもスポットが当たったのでしょう。…きっと。
いざ、勝願寺へ
とても立派な仁王門。
阿吽の仁王像も大変立派。若干の可愛さがありますね。
お寺ですから、鐘もあります。
そして本堂へ到着。
文禄元年(1592年)、鷹狩の際に勝願寺に立ち寄った徳川家康が住職と意気投合。それ以来、徳川家の庇護を受けることとなります。
勝願寺の本堂などの伽藍はかつて結城御殿と呼ばれるほど隆盛しました。
そして当時は結城城の御殿の一部を移築したものだったそうですが、残念ながら明治3年(1870年)に全壊。現在の本堂は明治24年(1891年)に再建されたものだそうです。
大変に歴史がつまったお寺ですね。
墓所
お寺の奥へ進むとお墓が見えてきました。
↑千石秀久のお墓
↑真田信重夫妻の墓
真田信之の三男で、母と同様に鴻巣で没したため当寺に埋葬されたそうです。
そして、目当ての小松姫のお墓です。
小松姫というのは上田藩および松代藩の初代藩主・真田信之(信幸)の正室。徳川氏譜代家臣の本多忠勝の娘さんです。大河ドラマ「真田丸」でも描かれてましたが主人公・真田幸村のお兄さんの奥さん、つまりは義理のお姉さんのポジションでしたね。
女優の吉田羊さんが見事に演じられてました。
小松姫は家康の勧めもあり円誉に帰依したが、同時に薬師如来像を拝領し生涯にわたって信仰を続けていたそうです。
元和6年(1620年)春、小松姫は病気を患い草津温泉での湯治のため、江戸から草津へ向かう最中に武蔵国鴻巣で亡くなりました。
墓は前述の勝願寺と、上野国沼田にある正覚寺、信濃国上田にある芳泉寺の三寺に分骨。こ勝願寺の墓は、小松姫が生前に円誉に深く帰依していたことから、次女の見樹院によって墓石が建立されたそうです。
おわりに
お墓であって、観光地ではないのである程度のマナーも必要だと思いますが、写真は撮らさせていただきました。
真田丸でも活躍されていた小松姫。ドラマの中では描かれませんでしたが主が不在の城を見事に守り、かつ義父との関係性も保つ手段を選べるとても賢い武家の女性であるのが魅力ですね。
我が、故郷埼玉県にあの小松姫のお墓があるということを知らないで育ったのでそれを知って訪れることができたことが嬉しかったです。
小松姫のゆかりの地をめぐりたかったら、是非、沼田城と合わせて訪ねてみてください。
勝願寺
所在地 | |
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電話番号 | 048-541-0227 |
駐車場 | あり |
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