今回は大阪へおでかけ。実は以前から行ってみたかったところへ。
B級スポットも好きな私の中ではここは関西に住んだら押さえておきたかった場所でもありました。
大阪は堺市。堺と言えば有名どころは…千利休さんですね。
利休さん絡みのスポットとなります。
その名は…【南宗寺(なんしゅうじ)】です。
南宗寺(なんしゅうじ)とは!?
南宗寺(なんしゅうじ)は大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で三好氏の菩提寺。山号は龍興山。開山は大林宗套、中興は沢庵宗彭、本尊は釈迦三尊である。茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした縁の寺であり、堺の町衆文化の発展に寄与した寺院である。古田織部作と伝わる枯山水庭園は、国の名勝に指定されている。
引用元:Wikipedia「南宗寺」
三好氏の菩提寺とのことですが、茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした縁の寺であり、堺の町衆文化の発展に寄与した寺院としての方が有名かもしれません。
中はとても広いお寺です。
そしてこちらが「三好長慶」さん。
三好 長慶(みよし ながよし)は、戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。室町幕府の摂津国守護代、相伴衆。
細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立する[4]。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。織田信長に先行する「最初の戦国天下人」とも呼ばれる存在[5]だが、現代での評価は芳しくなく、重臣・松永久秀と共に「下剋上をした悪党」として酷評されたり[6]、「松永久秀の専横、壟断を許した凡庸な大名」と評されている[7]。近年は長江正一、今谷明、天野忠幸らによる研究が進み、再評価の兆しを見せている。引用元:Wikipedia「三好 長慶」
というお方。
大変に申し訳ないですが、masayanは勉強不足であまり存じ上げませんでした。
勉強しておきます。すんません。
そして歩きまわってようやく発見。
参りましょう。
いざ、南宗寺へ
入り口からぐんぐん進むとあるのがこちら。
↑坐雲亭
供養塔
そしてここが狙っていた場所になります。
↑千利休の塔
官休庵(武者小路千家)の供養塔。
左半分が今日庵(裏千家)の供養塔。
右半分が不審庵(表千家)の供養塔。
そして千利休の墓
ちなみに、千利休の墓は京都の「大徳寺聚光院」にあるそうですが、利休ゆかりの地である南宗寺には遺髪が埋葬されたそうです。
ここが三千家家元の供養塔になります。
このあと津田家、武野紹鴎、三好長慶一族のお墓もありました。
重要文化財の唐門
そして立派な唐門。重要文化財です。
そして、これが日本の心。
水も使わずに、石と砂で山河を表現した『枯山水』
これを眺めながらお茶を楽しむのが日本人ですかね。
さて、この後は写真には残せなかったのですが重要文化財の仏殿があります。こちらの天井一面には、どこから見ても睨んでいるように見えることからその名の付いた「八方睨みの龍」が描かれています。
その迫力たるやすごいもので、是非その眼で見ていただきたいものです。
ここで沢庵和尚が登場の小話
南宗寺は大坂夏の陣でことごとく焼失してしまいましたが、その再興に尽力されたのが有名人なのです。
それは「沢庵和尚(たくあんおしょう)」です。
みなさん、一度は口にしたこともあるでしょう、あの沢庵漬けの考案者と言われる沢庵和尚です。
焼失後の再建は何かと大変だったと思いますが、おかげさまで重要文化財にしてされるようなものまで平成になっても拝見できたことは嬉しい限りです。感謝しかないですね。
…。
以上で南宗寺レポートを終わりにします…。とはならないんです。
おわりに
既に知っている方、関西圏の人は特に知っている人が多いかもしれません。
実はこのお寺にはすんごい伝説があります。真実かどうかは不明です。これを見たくて実際来たようなものでした。
話が長くなってしまったので、この話は次回にします。
例えば…奥に見える家紋がわかりますか?
合わせて読みたい 大坂夏の陣で徳川家康が後藤又兵衛の刃に倒れていたという話
南宗寺
所在地:大阪府堺市堺区南旅篭町東3丁-1-2
電話:072-232-1654
駐車場: 30台(無料)
拝観料:拝観料:大人400円、中人300円、小人200円
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