さ、京都の貴船神社。本宮、奥宮ときて最後に向かうのが中宮・結社になります。
三社詣というものがありまして、「本宮⇒奥宮⇒中宮」の順で参拝すると御利益がいただけるとのこと。
したがって、masayanもこの順番にしたがい参拝した次第です。
これ、知らないと近い順とかで参拝してしまいますね。
では、さっそく貴船神社中宮・結社へ参りましょう。
貴船神社中宮結社(きふねじんじゃちゅうぐうゆいのやしろ)とは!?
結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。
磐長姫命を祭神とし、縁結びの神として信仰される。磐長姫命が縁結びの神とされることになった理由として次のような伝承がある。天孫瓊瓊杵尊が磐長姫命の妹の木花開耶姫と結婚しようとしたとき、姉妹の父の大山祇命は、磐長姫命も共に奉った。しかし、瓊瓊杵尊は木花開耶姫とだけ結婚したので、磐長姫命はそれを恥じ、「縁結びの神として良縁を授けん」と言って当地に鎮まったという。引用元:Wikipedia「貴船神社」
古事記・日本書紀に記される日本神話において、かなりの冷遇をうける磐長姫命。彼女がここで縁結びの神様として活躍してくださっているとは…。ありがたいお話です。
では、磐長姫命をあまり知らないという方は↓を参照してください。
磐長姫命(いわながひめ)とは!?
御祭神:磐長姫命
古事記・日本書紀を読んだことのある方ならご存知かもしれませんね。
コノハナノサクヤビメとともに天孫瓊々杵尊(ににぎ)の元に嫁ぐが、イワナガヒメは醜かったことから父の元に送り返された。オオヤマツミはそれを怒り、イワナガヒメを差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、コノハナノサクヤビメを差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。
『日本書紀』には、妊娠したコノハナノサクヤビメをイワナガヒメが呪ったとも記され、それが人の短命の起源であるとしている。
山の神様オオヤマツミが娘二人をアマテラスの孫・ニニギノミコトに嫁がせようとしますが、美人の方のコノハナサクヤビメだけ娶ってブサイクなイワナガヒメは親元へ返すという離れ業を行ったニニギノミコト。
平成の世なら「ゲスい行為」として炎上していたかもしれませんね。
神話を勉強していた当時、私の中ではトップクラスに入る衝撃度でした。
「神様でもそういうことしちゃうんだ。「美人は得」ってやつは神様の世界ですらあるんだから人間界でも存在するのは必然か」と悟りました。
そして面白いのが、磐長姫命を娶らなかったことでニニギノミコトの子孫たちの寿命が短くなるというもの。
ニニギノミコトが娶っていれば岩のように長い寿命が得られたようですね。
しかし、そんな不遇を受けた磐長姫命が「これからは縁結びの神さまとして、ここにとどまり、訪れた人に良縁を授けましょう」と言って「縁結びの神」としてこちらに鎮座されています。
いざ、貴船神社中宮・結社へ
石段を登ります。
立派な鳥居と続く、赤い灯篭。
貴船神社らしさ満開です。
例え、男であっても良縁を望みます。
「磐長姫命様、どうぞよろしくお願いします…。」と。
そしてこちらが御神木の「桂」
樹齢約400年の立派なご神木です。
松尾巌句碑
「貴船より奥に人住む葛の花」
そして、さらにこういったものもあります。
和泉式部の歌碑
「ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」
すでに平安時代から縁結びの神様として信仰されていました。
和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川をとぶ蛍を見て、歌に託して祈願されたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという話があります
天乃磐船
1996年(平成8年)に造園業者・久保篤三氏より奉納された自然石。貴船山中で出土したものです。
この石は長さ約3m、重さ約6t。船は人と人を結ぶ交通機関であることから、縁結びの信仰と関係があり、祭神の磐長姫命の御料船として奉納されたものです。
おわりに
中社ということでしたが、既にお腹いっぱいになるくらいのボリューム。
さっすが貴船神社。京都屈指の神社はすごかったです。
神話からの流れを知っているとより楽しめました。平安時代から愛される神社の由縁たるものがそこにはあったように思います。
貴船神社はまた参拝したいと思える素晴らしい神社でした!
貴船神社中宮・結社
所在地: 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
電話:075-741-2016
駐車場:本宮10台・奥宮15台(いずれも有料 2時間500円)
HP:http://kifunejinja.jp/index.html
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