続いて向かったのがこちら。
【枚聞神社(ひらききじんじゃ)】です。
古来より薩摩一の宮として人々の厚い信仰を受けてきた枚聞神社。
特に、交通・航海の安全や、漁業守護の神をお祭りしています。美しい朱塗りの社殿と、木々の緑との調和は美しく有名です。
宝物殿に収蔵されている松梅蒔絵櫛笥は国の重要文化財に指定されています。
また、琉球から伝わった額や島津家に関係する古文書など貴重な品々があるそうです。
枚聞神社(ひらききじんじゃ)とは!?
創始の年月日は社伝でも不明であり、かなり古くからあった神社と考えられている。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられる。信頼できる史料での初出は『日本三代実録』貞観2年(860年)3月20日庚午条の神階昇叙記事で、この日に薩摩国従五位上開聞神が従四位下を加えられた。開聞神は、貞観8年(866年)4月7日に従四位上を授けられ、元慶6年(882年)10月9日に正四位下を授けられた。延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には「薩摩国穎娃郡 枚聞神社」として記載され、式内社に列している。
鎌倉時代以降は新田神社(薩摩川内市)と薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる。戦国時代は島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、元亀2年(1571年)に「証恩寺崩れ」と言われるお家騒動が起こり、その巻き添えとなって社殿を失った。しかし、すぐに島津氏の庇護を受けて再興、同氏は当神社の籤により作戦を決めたという。現在の社殿は慶長15年(1610年)に島津義弘が寄進したものを天明7年(1787年)に島津重豪が改築した物である。
外洋に面した立地から古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。
しかし江戸時代になると、宇佐八幡宮の五社別宮ともされていた新田神社の方が次第に重く扱われるようになったらしく、明治4年(1871年)5月に国幣小社に列したが、対して新田神社は同18年(1885年)に上位の国幣中社に列している。
第二次世界大戦後に近代社格制度が廃止されると、当社は神社本庁に参加、その別表神社に定められた。引用元:Wikipedia「枚方神社」
とのこと。
島津氏の庇護を受けてた枚聞神社気になります。
いざ、枚聞神社へ
噂通り、朱色が美しい神社です。さすが薩摩一の宮!
続いて二の鳥居。左右には御門神社。
配置がかっこいいです。左右対称性が美しい。
中央にあるのが勅使殿。左右に長庁です。
勅使殿は鹿児島地方独特の建物です。
ちなみに、勅使殿とは皇族の使いが訪れる建物です。
大きな唐破風の豪華絢爛な造りです。
朱塗りの柱や極彩色の美しい彫刻。まさに鮮やか&華やか。
皇族の使いである勅使を迎えるために力を入れたのでしょうか。
そして、勅使殿の左右にある長庁。こちらも綺麗な造りとなっています。
↑こちらが神馬。
枚聞神社 拝殿本殿
こちらが本殿です。
御祭神:大日孁貴命(アマテラスの別名)
配祀 五男三女神
(天之忍穂耳命 天之穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命)
(多紀理毘売命 狭依毘売命 多岐都比売命)
創祀年代は不詳。
一説には聖武天皇の御代の創祀。貞観二年には従四位を授けられた古社で
式内社・枚聞神社に比定されている神社。延喜式では枚聞神社と記されているが、
多くの古史料では開門神となっている。
また、「綿積神社」「和多都美神社」と称する史料もあるらしい。伝承によると、当地は山幸彦が訪れた龍宮。
海神豊玉彦の宮地であるといい、
よって「和多都美」と称されたようだ。また、他の伝承によると、
景行天皇の御代、池田湖が陥没し、開聞岳が出現した。
僧・智通が開聞岳山腹の岩窟で虚空蔵求聞持法を修して
開門神の出現を念じた時、塩土翁が現れた。
閼伽水を汲んで給仕したところ、鹿が飲んで開門神を生んだ。
さらに口から神女を吐き出して、北天へ飛び去り北斗尊星となった。
神女は、十三歳で召されて天智天皇の妃となった。当社は、当初開聞岳の南麓にあったようだが
貞観年間の噴火によって、北麓へ遷座されたという。現在の主祭神は大日孁貴命だが、
上記のような海神とするものや猿田彦神とするもの、
天智天皇后とするなどの異説もある。開聞岳山頂には、奥宮と考えられる末社・御嶽神社が鎮座している。
引用元:玄松子の記憶「枚方神社」
といった話もあるそうです。少し謎めいている神社です。
さきほどの伝承にもある山幸彦が訪れた竜宮伝説。
それを裏付けるかのうような宝物があります。
開聞岳は古代に龍宮界があったそうで、神話が語る山幸彦がいた世界の話のようです。
ま、宝物殿がありますと言っておいて私は宝物殿には入らなかったので肉眼で確認したわけではないのですが。
興味のある方は是非お立ち寄りください。
おわりに
謎多き美しき薩摩の一の宮・枚聞神社。特に左右対称性をかなり意識されている造りとなっています。
建築関係には疎いのですが美しく見える黄金比とかになっているのでしょうか。
必見です!!
LINK 第十九話 海幸彦と山幸彦|50の物語集(神話編)|ひむか神話街道
LINK 第二十話 山幸彦とトヨタマヒメ|50の物語集(神話編)|ひむか神話街道
LINK 第二十一話 塩満珠と塩乾珠|50の物語集(神話編)|ひむか神話街道
LINK 第二十二話 弟に服従する海幸彦|50の物語集(神話編)|ひむか神話街道
↑こちらが絵本のようにわかりやすくまとめてくれています。
古事記・日本書紀に記されている海山幸彦神話です。
ご存じない方、知っているけど忘れてしまった方は是非チェックしてみてください。
非常に面白いです。個人的には浦島太郎が脳裏を過りました。
枚聞神社
所在地:鹿児島県揖宿郡開聞町十町1366
電話:099332-2007
駐車場:あり
HP:http://youkoso-ibusuki.com/top/modules/pico/index.php?content_id=185
コメント
今回も丁寧なレポートありがとうございました。中に「(枚聞神社は)新田神社(薩摩川内市)と薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げる」とありましたね。ここでも神々の戦いがあったようですね。とこう見てみると、神様って人間臭い? ですよね。次回も楽しみにしています。
Akitsu Yoshiharuさんいつもありがとうございます。
まぁ、神社のランクで争ったのは神様というよりかは人間ですね。神様からしたらそんなことで争わなくてもって思ったんじゃないですかね?
ちなみに神様の人間臭さといえば、アマテラスの孫のニニギノミコトなんかは妊娠した嫁に「それは俺の子じゃねぇ」っていったり、出雲大社の大国主にしたら縁結びとして今は有名ですが実は浮気癖もあります。今回の記事の海幸彦・山幸彦も兄弟も釣り針で大ゲンカしているわけですし…。神話とはいえ神様も人間味あふれる感じで親近感湧きます。