前回の「大斎原(おおゆのはら)」で天下一の大鳥居に圧倒され心満ちた後でも熊野詣はまだまだ続きます。
続いて向かったのがこちら!
そうです。熊野那智大社です。眩しくも凛々しいくらいの大鳥居です。
階段続きでしんどいところですが、朱色の鳥居と拝殿らしきものが見えるとテンション上がってしまいました。
ところが、凄い山門が見える!ということで舵を切ります。
どうやら那智大社のほぼお隣に「那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)」があるとのこと。
主役の那智大社は後にして先にこちらを攻めることとしました。
那智山青岸渡寺(せいがんとじ)へ路線変更!
なんと雰囲気のある山門なのでしょう。
美しい…と思っていたら三重塔が見えたので先に寄り道。
美しい三重塔と滝のコラボレーション
山々をバックに朱色の三重塔。そして奥には瀧まで映る光景。
実はこの後に訪れる「那智滝」も右手に見えています。三重塔とのコラボレーション!
壮大ですね。日本の美しさが盛り込まれているように感じます。
こちらの三重塔は昭和47年(1972年)に再建されたといわれています。
塔の中には飛滝権現本地千手観音が安置されています。
再び山門まで戻り、続きを登ります。そして、ようやく到着できました。
那智山青岸渡寺とは!?
熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 – 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
↑もうお隣にある熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場だったんです。
いざ那智山青岸渡寺へ
↑那智大滝を水源とする延命の水。
↑
「本堂」は推古天皇の時代に創建されたといわれています。現在までに数回改築されているそうです。
確かに貫録が凄い。歴史深さを漂わせています。
ちなみに織田信長の軍勢によって焼き討ちされた後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が再興。
その後江戸時代に入って将軍吉宗の力で亨保・嘉永の大改修が行われました。
信長の焼き討ちと言えば比叡山が有名ですが、こんなところも焼いてたんですねぇ。
↑比叡山延暦寺の記事です。よろしければご参照ください。
それにしても信長暴挙後の豊臣家のフォロー。完璧です!
こちら、本尊は如意輪観世音菩薩像。
本尊は秘仏であり直接拝観できませんが、2月に一日だけ開扉されているそうです。
タイミングが合えば拝観したいものです。
この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さと同じなんだとか。
本堂以外の見どころもたくさん
水子堂
↑水子堂は水子供養のためのお堂です。
大黒天堂
こちらの↑に大黒天堂。是非こちらはお立ち寄りいただきたいところでした。
七福神を祀っております。
さっそく中へ。
中はこのように天井に所狭しと提灯が並んでいます。
なんという光景。見上げすぎて首が痛くなってしまいそうですがこの室内が全て見どころのような感じ。この雰囲気に飲み込まれてしまいました。
おわりに
青岸渡寺は隣に熊野那智大社があり、拝殿で手を合わせた後は直でそのままお隣の熊野那智大社に行きたくなるところです。
ですが、ぐっとこらえてもう少し境内を満喫してみてください。
そしてこの大黒天堂に立ち寄ってみてください。肉眼でみるともっとこの迫力を楽しめると思います。
織田信長に焼かれた後も秀吉が再興してくれた意味が少し見えてくるかもしれません。
合わせて読みたい 熊野那智大社とは那智滝を神聖視する熊野詣の聖地にして世界遺産
那智山青岸渡寺
所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地
電話:0735-55-0001
駐車場:有(附近バス50台,自家用車300台)
HP:http://www.nachikan.jp/kumano/seigantoji/
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