ついにウチのブログで抑えるべきところを抑えられる日が訪れました。
こんばんわ。大仏様大好きなmasayan(@masayan382)です。
うちのブログでも人知れず大人気な企画があります。それは、「大仏さまシリーズ」です。
お気づきの方もおられるかもしれませんが、かの有名な「鎌倉大仏」に触れずに三番目の大仏に名乗りを上げる大仏さまに着手して参りました。
今回、ようやくお会いできました。
ご紹介しましょう。
高徳院にある【鎌倉大仏】さまです。
鎌倉大仏(かまくらだいぶつ)とは!?
『吾妻鏡』には、暦仁元年(1238年)、深沢の地(現・大仏の所在地)にて僧・浄光の勧進によって「大仏堂」の建立が始められ、5年後の寛元元年(1243年)に開眼供養が行われたという記述がある。同時代の紀行文である『東関紀行』の筆者(名は不明)は、仁治3年(1242年)、完成前の大仏殿を訪れており、その時点で大仏と大仏殿が3分の2ほど完成していたこと、大仏は銅造ではなく木造であったことを記している。一方、『吾妻鏡』には、建長4年(1252年)から「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。「釈迦如来」は「阿弥陀如来」の誤記と解釈し、この1252年から造立の開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが定説である。なお、前述の1243年に開眼供養された木造の大仏と、1252年から造り始められた銅造の大仏との関係については、木造大仏は銅造大仏の原型だったとする説と、木造大仏が何らかの理由で失われ、代わりに銅造大仏が造られたとする説とがあったが、後者の説が定説となっている。
引用元:Wikipedia「高徳院」
ということでです。
今や鎌倉の代名詞とも言える鎌倉大仏が鎮座する高徳院という寺院は大仏の造像の経緯についての史料が乏しく、不明な点が多いそうです。
いざ、高徳院(こうとくいん)へ
力強い仁王門をくぐり進みます。
みなさん鎌倉大仏を見に来ているわけですが、それでも仁王様の迫力に多くの参拝客がシャッターを切ります。
やっぱりかっこいいです。仁王門大好きです。
そして、見えてきたのが鎌倉大仏さまです。
鎌倉大仏へ大接近!
ご覧の通り、多くの人が鎌倉大仏を見に訪れます。
高徳院の本尊「阿弥陀如来像」
像高約11.35メートル(台座を含め高さ13.35メートル)。重量約121トンの巨大さです。
奈良 | 鎌倉 | 岐阜 | 兵庫 | |
像高(m) | 14.98 | 11.35 | 13.68 | 11 |
↑一応、当ブログが訪れた大仏さまの像高表です。
まぁ、以前も言いましたが大仏様の凄さ=大きさではないのです。これだけ大きいんだよってことです。
鎌倉大仏は鎌倉の仏像の中で唯一の国宝です。これを国の宝とせずなんとするかって話ですね。
注目は鎌倉大仏の背中
これ、大仏様の背中に羽が生えているわけではありません。
実は窓がついてます。なぜ窓があるのか?
それは胎内拝観をするとわかるのです。
鎌倉大仏の胎内拝観
小学生以上の方は20円で入れます。むしろ入らなきゃ損です!
ということで、いざ参る!
中はこんな感じ。なかなか広いです。それもこれも大仏さま自体が大きからですね。
先程の鎌倉大仏の背中の窓からの採光によりとても明るくなっています。
胎内巡りができるお寺もいくつかありますが、大抵は真っ暗で歩くのが難しいタイプが多いですね。これだけ明るいと安心していられます。
ここが大仏さまの中なのかと思うと密かに感じる安心感。大仏さまならではの包容力とも受け取れます。
おわりに
現在は露座の大仏さま。かつては大仏殿の建屋があったのですが、地震・津波で大仏殿が倒壊されています。
なんか、大仏様が野ざらしってのはあんまり好きくない。「室内管理にしたらいいのに」って思うのは俺だけじゃないはず。
それにしても大仏さまの静かなる優しい表情はいつまでも眺めていられるようです。
鎌倉まで足を運ばれる際には鎌倉大仏も是非、足を運んでみてください。
高徳院
所在地:神奈川県鎌倉市長谷4丁目2−28
電話:0467-22-0703
HP:http://www.kotoku-in.jp/
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