今回から始まる島根シリーズです。こんばんは。日本史大好き看護師masayan(@masayan382)です。
男なら誰しもが憧れる「城」。日本には国宝に指定されているお城が5つあります。
犬山城、松本城、彦根城、姫路城…。そして今回訪れるのが島根県にある「松江城」です!!
あれって思った方もおられるかもしれません。むしろ、あれ?って思ったのは私もです。
なぜなら今までは「国宝四城」と言われてきたからです。しかし、2015年、国宝として松江城が認定され、「国宝五城」となりました。
それもはや3年前の話になってしまうわけですが…。なんと今回はだいぶ遅れてしまいました。国宝に認定される前におとずれた私の写真をみていただきながら松江城をご紹介させていただければと思います。
でわ、参りましょう。
松江城とは!?
そして見どころとして、築城当時からいまも残る松江城を囲む約3.7kmの堀川を小舟でめぐる「堀川めぐり」も楽しめます。
いざ、松江城へ
駐車場に車を置いてぐるっとまわってようやく松江城が見えてきました。
黒い!かっこいい!!
この写真の1年後に国宝になるわけですが、既にその存在感が国宝クラスです。
国の宝と言って間違いなしです。
中の造りは昔の建物感がありますが、それがリアルでいいですね。
冒頭でも触れていますが、「天守は外観4重、内部5階、地下1階」の造りになっています。
江戸時代の建物でも地下を造るってすごいですね。今みたいに重機があるわけでもないのに…。
松江城の地下には井戸や、塩の貯蔵庫。籠城した際の備えがありました。
見た目の美しさ以上の機能美。さすがです。
そういう背景を考えたり、感じたりすると日本の歴史ロマンに浸れます。
格別なのは、その展望
あぁ~美しい。
四方を眺められるその造り。本来は四方から攻めてくる敵を発見できるようにってところなんかな?
平成の世では周りの美しい眺めを見るために存在してます。
この眺め、プライスレス的な。
眺めを満喫し、城を出ます。
隠居していた堀尾吉晴か亡くなったあとの1611年冬に、松江城が完成し、松江藩の本拠となりました。
しかし、2代藩主・堀尾忠晴が1633年に死去すると、男子がいなかったため、堀尾家は断絶。
そのため1634年に、堀尾家の跡を継ぎ、若狭国小浜(福井県)から出雲に京極忠高が26万石で入封しました。京極忠高といえば、徳川二代目将軍・秀忠と正室・江の四女の「初姫」を正室としています。
忠高の父・高次の正室・初(常高院)には実子がなかったため、初の実妹・江の生んだ初姫を養女として忠高と娶わせることで、徳川家と姻戚関係を結ぶと共に、京極家での初の立場をも安泰なものにするという、一石二鳥の政略だったと言われています。
また、一説には、江が伏見で女児を出産すると、祝いに訪れた初がその場でこの女児を京極家の嫁に迎えたいと懇願し、江が同意すると初はそのまま初姫と名づけたこの子を連れて帰ってしまったとも伝えられています。
このあたりのやりとりは大河ドラマ「江」でも確か描かれていたように記憶しています。違ったらすみません。
その京極忠高も男子に恵まれず、1637年に断絶し、1638年からは、信濃・松本藩から松平直政が18万6千石で入り幕末まで続きました。
石垣も美しく、「野面積み」と「打ち込み接」が楽しめます。
すぐお隣にあるのが松江神社
1628年(寛永5年)、堀尾忠晴が創建した東照宮の御神霊を1898年(明治31年)、合祀し、翌年の1899年(明治32年)に、現在地の松江城山二之丸に遷座して、神社を松江神社と改めました。1931年(昭和6年)に、松江藩中興の明主として仰がれた七代藩主松平治郷と、松江開府の祖堀尾吉晴の遺徳を称えて御神霊を配祀し、今日に至っています。
今も綺麗に整備され地元の方々が大事にしているのがひしひしと伝わってきます。
おわりに
とても美しく、凛とした国宝・松江城。もちろん城周囲には観光名所がちりばめられ、城下町に資料館などまだまだ見所がたくさんあります。
個人的には冒頭でもふれた「堀川めぐり」やってみたかったです。次回は是非チャレンジしたいと思います。
松江城
所在地: 島根県松江市殿町1−5
電話:0852-21-4030
駐車場:あり。https://www.kankou-matsue.jp/information/parking/
HP:http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/index.html
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