続いて向かったのが福岡に来ることがあれば絶対立ち寄りたい思っていた場所。
そうです。大河ドラマ「軍師 官兵衛」をみてからだだハマりした黒田官兵衛ゆかりの地です。
ということで、ここ福岡にある福岡城(舞鶴公園)に訪れたのでした!
ではさっそく福岡城をご紹介します。
福岡城(ふくおかじょう)とは!?
江戸時代初頭、関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の黒田長政が、警固村福崎の丘陵地に築いた城である。以降、明治まで福岡藩黒田氏の居城となった。築城の際に、黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ福崎を「福岡」と改めた。普請奉行は野口佐助一成である。城地となった警固村福崎は、古くから商人の町として栄えていた博多の西側に位置する。
現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっている。城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。なお、平和台球場跡から出土した国史跡鴻臚館跡がある三の丸跡は二重史跡である。
引用元:Wikipedia「福岡城」
とのこと。福岡藩黒田氏の居城は長く残り、今はその城跡がわずかに残っている状況ですね。
今回の福岡県というか、博多をねらってきたのは完全に黒田官兵衛ゆかりの地狙いということです。
なお、官兵衛ゆかりの地では他にこのような場所も訪れていますのでよろしければ合わせてご覧ください。
では早速お城へ参りましょう。
いざ福岡城へ
かんたんには入城させてくれない水堀。城の名残りを感じさせてくれます。
橋を渡って見えてきたのが大手門。
重厚感のある福岡城・大手門
やっぱりね、城をみるときはこの石積みに目を奪われてしまいますね。
あぁ、美しい。城の玄関から美しいというのが素晴らしいです。
そしてこちらが潮見櫓です。
旧母里太兵衛邸長屋門
黒田官兵衛ファンとしては「お!」と言いたくなるフレーズを発見。
そう、ここがあの母里太兵衛の長屋だったそうです。
なんとも感慨深いです。さっすが福岡城。ファンにはたまらんものがありますね。
黒田24騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取ったという「酒は飲め飲め…。」でおなじみの母里太兵衛。
こちらでも少しその話にも触れていますのでよろしければ合わせてご覧ください。
次へ進みます。
三の丸スクエアへ到着。
名島門。
名島城の脇門であったが、慶長年間、黒田長政が今の地に福岡城を築き居城を移すとき、24騎の一人である林掃部にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたという言い伝えを持つそうです。
ここからは石段をのぼり上へと登っていきます。
途中途中で見られる石段がまた素敵なんです。
そして見えてくるのが福岡城祈念櫓です。
この祈念櫓は、本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたものだそうです。
その後、黒田家の菩提寺の崇福寺が陸軍省から払下げをうけ、末寺である大正寺住職渡辺玄外老師によって、北九州市八幡東区東台良の同寺境内に移築され、観音堂として使用。昭和58年(1983)、福岡城の旧位置に移築されました。
鬼門封じの祈念をするために櫓を建てることもあったんですねぇ。
本丸跡へ到着。
木々が豊かな緑あふれる公園と化してました。
いざ、福岡城天守台へ
本丸に来たからといって緊張感が途切れることはありません。
まだまだ上に行きます!
石積み、たまらんです。美しいです。
建造物が残っていないぶん、石積みくらいしか正直ありません。
それでも観光しやすいように足場を作っていただけているだけでもありがたいもんです。
素晴らしい眺めだ!
石積みの上からこの長め。
ここに城としての天守があればさらに眺めがよかったのでしょうに。そこだけが残念ですね。
ということで残っているのがこちら。
天守台跡ということでした。
そして天守跡を降りて敷地内のあの場所にも立ち寄ります。
黒田如水公御鷹屋敷跡
官兵衛改め、如水の屋敷跡です。
黒田如水隠居地(三ノ丸御鷹屋敷)跡
黒田官兵衛孝高(如水)[1546~1604]は,戦国時代の武将で,筑前黒田藩の藩祖とされる。はじめ赤松氏の一族で当時姫路の小寺氏に仕えたが,のちに羽柴秀吉に従い,竹中半兵衛とともに秀吉の軍師として重きをなし、中国、四国及び九州の平定の後はその軍功により豊前国六郡を封ぜられ,同地に中津城を築いた。
長子長政に家督を譲った後には剃髪して隠居し、如水円清と号した。如水の隠居後、関ガ原の役の功により、長政が筑前国十五郡(福岡県)を与えられ筑前黒田藩の初代藩主となって福岡城を築いた後は、如水もその晩年を福岡城で過ごした。福岡黒田家に仕え、儒教・博物学者として著名な貝原益軒の書「筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)」の中に、「城内のいぬゐ(北西)に小高き山あり。是又本丸より高かりしかば、山をならしてひきゝ(低い)岡とし、如水公の兎裘(ときゅう)の宅地(隠居地)とせらる。」という記述のある「三ノ丸御鷹(おたか)屋敷」は現在のここ「ボタン・シャクヤク園」にあった。
引用元:境内看板
です。
黒田如水も晩年はこちらで過ごされていたのですね。。。
とはいったものの、今やその面影もなく美しい花が咲いておりました。
おわりに
ということで念願の福岡城でした。
私は戦国武将で一番好きな武将は黒田官兵衛です。
彼のゆかりの地を訪れるのを楽しみしてましたので晩年を過ごした場所までこれたことは非常に嬉しかったですね。
残念ながら城としては残っているのは石積みや水堀など。素人でも楽しめる建築物という点では、基本ありませんでした。しかし、私のような歴史大好き人間ならそれでも楽しめる素敵な場所でした。
眺めも素晴らしいですし、城だったこともあり規模、敷地面積非常に大きいです。公園としては端から端まで移動するのも大変な距離です。
たっぷり時間をとって福岡城を噛みしめるようにして是非、練り歩いてください。
福岡城
所在地 |
〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内1
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電話番号 | 092-711-4666(文化財活用課) |
駐車場 | あり |
HP | 福岡城跡 |
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