続いて向かったのは千葉県の参詣者数において関東地方でもトップクラスの有名なお寺です。
初詣の参拝客数は、2006年に約275万人、2007年に約290万人を数えています。
神社仏閣としては、明治神宮に次ぐ全国第2位(千葉県内第1位)、仏閣に限れば全国第1位の参拝客数を誇るすごいお寺です。
お正月ではよくTVでも放送される有名なお寺ですね。
最近では成田国際空港に近いことから、外国人観光客にも人気があります。
ご紹介しましょう。【成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)】です。
成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)とは!?
天慶2年(939年)に朱雀天皇の密勅を受けた。寛朝は、京の高雄山(神護寺)護摩堂に安置されていた空海作の不動明王像を奉じて総国へ下ることとし、明くる天慶3年(940年)、難波津から海路で上総国に至り尾垂浜に上陸。陸路で下総国公津ヶ原へ入り、この地にて朝敵調伏を旨とする不動護摩供を奉修。最期には諸説あるものの、寒の戻りの風に乗った一本の流れ矢が将門の額に命中したと伝えられます。
これを朱雀天皇は不動明王の霊験と歓喜したそうです。そして、寛朝が帰京しようとしても不動明王像が動こうとしないとの報せを聞き、公津ヶ原にて東国鎮護の霊場を拓くべきとの考えのもと、寛朝に開山せしめ、神護新勝寺の寺号を下賜しました。また、この時、朱雀天皇から「天国宝剣」を下賜されたとされています。
その後、成田山は源頼義、源頼朝、千葉常胤、徳川将軍家や徳川光圀(水戸藩主)といった関東有力武将の崇敬を受けるようになりました。
そして、江戸時代に入り世情が落ち着くと伽藍が再建・整備され、江戸に近いことから参詣者が増えるとともに、江戸で成田不動の出開帳が度々行わるほどに。
元禄16年(1703年)、深川永代寺で行われたのが初めで、江戸時代を通じて12回の出開帳されます。
また、歌舞伎役者の初代市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなりました。
ではさっそく参りましょう。
いざ、成田山新勝寺へ
開基1070年の記念事業により、2008(平成19)年建立。荘厳な雰囲気の総門は、高さ15mの総欅造りとなっています。
新勝寺の顔とも言える大変に立派な表玄関です。
そして進むと見えてくるのがこちら。
↑の仁王門は1831(天保2)年再建の国指定重要文化財です。
門の左右に密迹金剛、那羅延金剛の二尊が奉安されています。
また、裏仏として、広目天、多聞天の二天が奉安されています。迫力満点の門です。
突き進むと見えてくるのが大きな池。
左右にあります。
そして見えてきたのがこちらです。
こわれ不動堂
本尊は倶利伽羅不動明王です。
このお堂は幾度修復しても不思議にすぐこわれてしまうので「こわれ不動」と呼ばれているそうです。
仁王門をくぐり見えてくるのが香閣と三重塔です。
↑三重塔は1712(正徳2)年に建立された重要文化財です。
総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安され、周囲には「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。
大本堂
大変に大きな大本堂は御護摩祈祷を行う中心道場で、堂内の御本尊は不動明王です。
不動明王とは密教の根本尊であり、大日如来の化身とも見なされています。
「お不動さん」の名で親しまれているそうです。
御本尊ということもありとても偉大なオーラが溢れてました。写真には撮れてないため、ぜひ、これは実際に参拝していただきたいです。
そして、成田山新勝寺は大変に広大なため、ここで終わりません。さらに奥地へと進みます。
まだまだ続く成田山新勝寺。
ちなみにどれだけ広いのかといいますと、成田山境内は約20万㎡。併設している成田山公園は16.5万㎡です。
境内と公園を合わせると36.5万㎡になるのですがこれは、東京ドームの約8倍程です。
お寺だけでも東京ドームの約4倍ってことです。
聖徳太子堂
日本の仏教興隆の祖である聖徳太子の理念にもとづき、世界平和を願って建てらたそうです。
堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に渡り描かれてあり、聖徳太子像が奉安されています。
この八角円堂のような造りを見ると聖徳太子っぽいなぁと思うのは俺だけかもしれません。
釈迦堂
安政5年(1858)建立の国指定重要文化財。
現在の大本堂が建立されるまでの本堂で江戸時代後期建築の特色が残るお堂です。
ご本尊は、釈迦牟尼如来です。
他にも文殊菩薩、普賢菩薩、千手観音菩薩、弥勒菩薩が安置され、更に堂裏手には裏仏として大日如来像があり、釈迦堂全体が一つの彫刻芸術作品ともいえます。
周囲にはめ込まれた五百羅漢の彫刻は不動金兵衛と称される仏師松本良山が10年の努力・心力を注いで彫り上げた大傑作です。
500人もの仏道の修行者である羅漢の様々な姿を一枚板に浮彫りにした羅漢像。すんごく細かい造りになってます。
この中から必ず自分や知人に似た顔を見つけることが出来ると言われるほど喜怒哀楽豊かな表情の羅漢像は必見です。
なんとも精巧な芸術品ともいえる羅漢像です。
↑左から白山明神・金毘羅大権現・今宮神社。
光明堂
釈迦堂の前の本堂だったそうです。つまりは、現在の大本堂の前の前の本堂ってことですね。
こちらでは『大日如来、愛染明王、不動明王』を祀ります。
ここでようやく登場したのが愛染明王です。
愛染明王は「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから信仰されています。また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護仏としても信仰されているとか。
一番有名なのは大河ドラマ「天地人」でも描かれた戦国武将・直江兼続が兜に愛染明王から「愛」の文字をあしらったエピソードですかね。
光明堂の後ろには奥の院があります。
開扉されている期間は洞窟内に入る事が出来ます。入り口扉から11メートル先に奉安されている大日如来だそうです。
↑清流権現堂
本殿内には、清滝権現と地主妙見が合祀されています。
↑一切経堂
平和の大塔
こちらが成田山新勝寺の境内奥地にある「平和の大塔」です。
1984(昭和59)年に建立された「平和の大塔」は、真言密教の教えを象徴する総高58mの塔で、約350億円で建立されたそうです。
1階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付があります。
2階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安されています。
3・4階の経・法蔵殿には、ご信徒による掛仏、5階の金剛殿には五智如来が奉安されています。
成田山新勝寺と市川団十郎
冒頭でも触れましたが成田山新勝寺と市川団十郎とは深いつながりがあります。
江戸時代、歌舞伎の舞台に暫や鳴神に代表される荒事を取り入れ、人気を博した初代團十郎でした。しかし、跡継ぎに恵まれず悩むことに。そこで、成田山の当時の本堂である薬師堂で一心に子授けを祈願。すると見事、長男を授かったとのこと。
歌舞伎の「見得」(みえ)という芸があるのはご存知でしょうか?
役者の演技がピークに達したところで、顔の表情やポーズをそのままにして、しばらくのあいだ動かずにいることを「見得」といいます。
お不動さまのゆるがぬ御心が歌舞伎にあらわれたのがこの「見得」とされています。
こういったことを知っていると、市川家と成田山新勝寺との繋がりが見え、歌舞伎のみかたも少しは変わるかもしれませんね。
「勝御守」は不動明王の不動の心で己に勝ち、どんな困難にも打ち勝つという勝運を授かった御守です。
新勝寺ですから。「新」たに「勝」お寺成田のお不動さん成田のお不動さんです。このお守りが体現してくれそうです。
ついつい買ってしまいました。
弁財天堂
新勝寺の入り口にあるのが弁財天堂。
その名の通り七福神の中で唯一女性の神さま弁財天をお祀りしています。
そして、弁財天堂を囲む池の中には…亀さん。
群がる亀さん…。可愛いです。
おわりに
とても見応えだっぷりの成田山新勝寺。
お正月の他には節分のときのニュースでも登場する機会が多いかと思います。
冒頭でも触れましたが参拝客が本当に多く、それだけたくさんの人たちが大事にしてきたお寺なんだろうなと感じることができました。
千葉県を代表するパワースポットともいえる成田山新勝寺。ぜひ、参拝してみてください。
とても広大な境内ので歩きやすい格好で行くことをおすすめします。
成田山新勝寺
所在地 |
千葉県成田市成田1番地 |
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電話番号 | 0476-22-2111(代表) |
駐車場 | あり |
HP | https://www.naritasan.or.jp/ |
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